「異教徒は大地を愛するのはそれを楽しみ、その中に自らを閉じ込めるためであり、キリスト者はそれをより清め、そこから脱する力を引き出すために大地を愛する」

- 1881年5月1日~1955年4月10日(73歳没)
- フランス出身
- イエズス会士、神学者、古生物学者、哲学者
英文
“The pagan loves the earth in order to enjoy it and confine himself within it; the Christian in order to make it purer and draw from it the strength to escape from it.”
日本語訳
「異教徒は大地を愛するのはそれを楽しみ、その中に自らを閉じ込めるためであり、キリスト者はそれをより清め、そこから脱する力を引き出すために大地を愛する」
解説
この言葉は、自然と人間の関わりに対する二つの異なる宗教的態度を対比している。異教徒は大地を享楽の対象とし、そこに安住しようとするのに対し、キリスト者は大地を浄化し、さらに超越へと向かうための力を汲み取る場として愛する。つまり、同じ「大地への愛」でも、その目的と方向性に本質的な違いがあるとされる。
背景として、キリスト教思想はしばしば「現世からの超越」を強調し、物質的な世界を終極の目的とはみなさなかった。テイヤール・ド・シャルダンの場合、進化論と神学を結びつけながら、大地を単なる享楽の場ではなく、霊的上昇を準備する舞台と捉えた。この視点は、物質世界を軽視するのではなく、むしろその中から超越への力を見出すという独自の調和を示している。
現代において、この言葉は自然との関わり方に対する倫理的示唆を与える。地球環境を単に資源として消費するのではなく、より清め、未来へとつなぐために愛する姿勢が求められている。人間が大地をどう愛するかは、その文明のあり方を決定する。したがってこの名言は、環境問題や持続可能性の議論にも通じる普遍的な問いを提示しているのである。
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