「私は狩猟に嫌悪を感じる。第一に、すべての生命の統一性と神聖さに対する一種の仏教的尊重からであり、また野ウサギやシャモアを追うことは、いわば『エネルギーの逸散』のように思えるからである。すなわち、それは利益なき虚しい目的に我々の努力を費やすことにほかならない」

- 1881年5月1日~1955年4月10日(73歳没)
- フランス出身
- イエズス会士、神学者、古生物学者、哲学者
英文
“I feel a distaste for hunting, first because of a kind of Buddhist respect for the unity and sacredness of all life, and also because the pursuit of a hare or chamois strikes me as a kind of ‘escape of energy,’ that is, the expenditure of our effort in an illusory end, one devoid of profit.”
日本語訳
「私は狩猟に嫌悪を感じる。第一に、すべての生命の統一性と神聖さに対する一種の仏教的尊重からであり、また野ウサギやシャモアを追うことは、いわば『エネルギーの逸散』のように思えるからである。すなわち、それは利益なき虚しい目的に我々の努力を費やすことにほかならない」
解説
この名言は、テイヤール・ド・シャルダンの生命への尊重と人間活動の価値観を示している。彼は狩猟を単なる娯楽や伝統的な活動としてではなく、生命の神聖さを侵す行為、さらには意味のないエネルギー消費として捉えている。ここでの「仏教的尊重」という言及は、すべての存在を統一的に見る視点を強調している。
背景には、彼の進化思想と霊的感覚がある。生命は進化の歴史の中で結び合った存在であり、それを無益に奪う行為は宇宙的な調和に逆行する。さらに彼は、人間の努力は本来、創造や進歩に寄与すべきものであり、狩猟のように「利益なき虚しい目的」に使われるのは、進化の方向性に反する浪費だと見なした。
現代的に解釈すれば、この言葉は動物倫理や環境倫理に通じる。今日ではスポーツ狩猟への批判や動物保護の観点が広まりつつあり、人間の活動が持つ意味や目的が問われている。テイヤールの視点は、生命を尊重し、努力を有意義な方向に注ぐべきだという普遍的な教えを示し、人類の行動原理における倫理的基盤を照らし出している。
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