「私は科学にあまりに没頭しているため、あまり哲学することはできない。しかし自分を深く見つめるほどに、すべてを貫くキリストの学、すなわち真の神秘的科学こそが真に重要であるという確信に取り憑かれているのを感じる。地質学を行うとき、私はその遊びに夢中になってしまう」

- 1881年5月1日~1955年4月10日(73歳没)
- フランス出身
- イエズス会士、神学者、古生物学者、哲学者
英文
“I am a little too absorbed by science to be able to philosophise much; but the more I look into myself, the more I find myself possessed by the conviction that it is only the science of Christ running through all things, that is to say true mystical science, that really matters. I let myself get caught up in the game when I geologise.”
日本語訳
「私は科学にあまりに没頭しているため、あまり哲学することはできない。しかし自分を深く見つめるほどに、すべてを貫くキリストの学、すなわち真の神秘的科学こそが真に重要であるという確信に取り憑かれているのを感じる。地質学を行うとき、私はその遊びに夢中になってしまう」
解説
この名言は、テイヤール・ド・シャルダンの科学と信仰の関係を率直に表している。彼は科学的探究に強く没入していたが、同時にその奥に流れるものを「キリストの学」として理解していた。つまり、科学的活動は単なる知的遊びである一方で、その背後に存在する霊的秩序や神秘的真理こそが究極的に重要だと確信していたのである。
背景には、彼の二重のアイデンティティ――地質学者としての科学者と神学者・思想家としての信仰者――がある。地質学の研究は彼にとって宇宙の歴史を解き明かす作業でありながら、その本当の意味は「キリストによる宇宙的進化の一部」を体現する行為と考えられた。この自己理解は、科学と宗教の分裂を超えた独自の調和を示している。
現代的に解釈すれば、この言葉は学問の目的と意味を問い直す。科学的発見や研究は重要であるが、それ自体に終わるのではなく、人間存在や宇宙の意味を照らし出す広い文脈の中でこそ価値を持つ。テイヤールの姿勢は、専門的研究を「遊び」として楽しみつつ、その根底に霊的・普遍的真理を見出す知の統合を求める態度を体現している。
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