「球体の上に置かれているということが、どれほど屈辱的で苦しいことか考えたことがあるだろうか? 友情にとっては、遠く離れるといっても反対側までしか行けないのは恩恵である。しかし、もし共にどこまでも進んで行こうとしたら、それは不可能だ。ある一点を越えることは、結局自分が出発した場所に戻ることを意味するのだから。」

ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(画像はイメージです)
ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(画像はイメージです)
  • 1881年5月1日~1955年4月10日(73歳没)
  • フランス出身
  • イエズス会士、神学者、古生物学者、哲学者

英文

“Have you ever thought how humiliating and distressing it was to be placed upon a sphere? For friendship it is a boon never to be able to be further apart than the antipodes. But suppose that you are leaving together to go on and on; it is impossible. To go beyond a certain point is to return to where you began.”

日本語訳

「球体の上に置かれているということが、どれほど屈辱的で苦しいことか考えたことがあるだろうか? 友情にとっては、遠く離れるといっても反対側までしか行けないのは恩恵である。しかし、もし共にどこまでも進んで行こうとしたら、それは不可能だ。ある一点を越えることは、結局自分が出発した場所に戻ることを意味するのだから。」

解説

この言葉は、地球という球体に生きる人間の制約と象徴的意味を表現している。球体の構造上、人と人がどれほど離れても「地球の裏側=対蹠点」以上には離れられないという点は、友情にとっては「絶対的な隔たりが存在しない」安心感をもたらすといえる。

しかし同時に、この形状は「無限に進み続けることができない」という限界をも意味する。どこまでも進もうとすれば必ず元の場所に戻ってしまう。このことをテイヤールは「人間存在の窮屈さ」として語っており、空間的な閉鎖性を精神的な制約の比喩として捉えている。

現代的な解釈では、この発想は人間関係や存在の有限性を示すものとして理解できる。友情や愛は完全に切り離されることはない一方で、人生や宇宙における「無限の直進」が不可能であることは、人間に謙虚さと循環的世界観を教える。すなわち、この球体の宿命は「孤独を和らげる恩恵」であり「無限を阻む制約」でもあるのだ。

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