「私は確信している、そしてますます確信している――人生を進むにあたり、宇宙の果てにキリストが私を待っているかのように歩まねばならないと。しかし同時に、キリストの存在について特別な確証を抱いているわけではない。信じることは見ることではない。誰と同じように、私もまた信仰の影の中を歩んでいるのだと思う」

ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(画像はイメージです)
ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(画像はイメージです)
  • 1881年5月1日~1955年4月10日(73歳没)
  • フランス出身
  • イエズス会士、神学者、古生物学者、哲学者

英文

“Certain though I am – and ever more certain – that I must press on in life as though Christ awaited me at the term of the universe, at the same time I feel no special assurance of the existence of Christ. Believing is not seeing. As much as anyone, I imagine, I walk in the shadows of faith.”

日本語訳

「私は確信している、そしてますます確信している――人生を進むにあたり、宇宙の果てにキリストが私を待っているかのように歩まねばならないと。しかし同時に、キリストの存在について特別な確証を抱いているわけではない。信じることは見ることではない。誰と同じように、私もまた信仰の影の中を歩んでいるのだと思う」

解説

この名言は、テイヤール・ド・シャルダンの信仰における緊張と誠実さを表している。彼は進化の最終目的を「オメガ・ポイント」としてキリストに結びつけたが、その存在を直接的に証明できるわけではないと認める。つまり、確信と不確実性の狭間に立ちながらも、信仰とは確証ではなく希望と歩みの態度であることを示している。

背景には、近代科学と信仰の間で生きた彼の立場がある。科学者として経験的証拠の重みを知りつつも、神学者として「キリストに向かう進化」の意味を信じた。ここで強調されるのは、信じることは見ることとは異なるという伝統的なキリスト教の思想であり、確証がなくても信仰を選び取ることに人間の自由と責任があるという理解である。

現代的に解釈すれば、この言葉は信仰や人生の選択における不確実性の受容に通じる。誰もが将来や真理について確証を持つことはできないが、それでも歩み続けることが求められる。テイヤールの姿勢は、懐疑と信頼の間で揺れ動く現代人にとって、確証なき中での誠実な歩みの価値を示す指針となっている。

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