パトリック・ヘンリー

パトリック・ヘンリー(画像はイメージです)
パトリック・ヘンリー(画像はイメージです)
  • 1736年5月29日~1799年6月6日(63歳没)
  • アメリカ合衆国出身
  • 弁護士、政治家

人物像と評価

パトリック・ヘンリー(Patrick Henry)は、アメリカ独立戦争期の政治家・雄弁家であり、自由と独立を鼓舞した象徴的人物である。

彼は「自由か、さもなくば死か(Give me liberty, or give me death!)」の演説で知られ、植民地住民に対し武力による抵抗を訴えた。

バージニア州議会や大陸会議で活動し、反イギリス感情を高める上で大きな役割を果たした。

州知事としても独立後の政治に貢献し、強い州権を擁護した立場を貫いた。

一方で、強力な連邦政府に反対したため合衆国憲法制定後は反連邦派の指導者と目された。

その姿勢は新国家の統一を妨げるとの批判を受けたが、個人の自由と地方自治を重んじる思想はアメリカ政治思想の一潮流として評価される。

彼は激情的な弁舌と自由への信念によって、独立の精神を体現した人物である。

名言

  1. 「生命がそれほどに愛おしく、平和がそれほどに甘美であっても、鎖と奴隷の代価で買われるべきものなのか。全能の神よ、それを禁じたまえ。ほかの人々がどの道を選ぶか私は知らない。しかし、私に関しては自由か、さもなくば死を与えよ」
  2. 「アメリカの精神が若かったころ、その言葉は異なっていた。自由こそが第一の目的であったのだ」
  3. 「支配者の行為が民衆から隠され得るとき、民衆の自由はかつて安全であったこともなく、これからも決して安全ではない」
  4. 「もしこれが反逆であるならば、徹底的に利用するがよい」
  5. 「恐怖は奴隷の情念である」
  6. 「私は我らの共和国のために多くの憂慮を抱いてきたが、その主な原因は通貨の価値下落によるものであった」
  7. 「寛大さを正しい倹約と結びつけよ。常に施しのために何かを取っておけ。そして苦しむ人類の声に対して、決して扉を閉ざしてはならない」
  8. 「自由を与えよ、さもなくば死を与えよ」
  9. 「我らは弱くはない。自然の神が我らに授けた手段を正しく用いるならば……戦いは強者のみに属するものではない。それは警戒する者、行動する者、そして勇敢な者のものでもある」
  10. 「完全な自由は、商業の健全さと活力にとって、市民の健全さと活力に必要であるのと同じほどに必要である」
  11. 「徳と公共心をこれほどわずかしか持たぬ民の間で、専制が打ち倒され、その廃墟の上に自由が築かれた例を思い出せるだろうか。私は一つも思い出せない。そしてこのことこそ、イギリス軍の力以上に、改革なくして最終的な成功を恐れさせるものなのだ」
  12. 「公共の自由を嫉妬深く見守れ。その宝に近づく者は誰であれ疑え。不幸なことに、それを守るものは徹底した力以外にはない。その力を放棄する時、汝は必然的に滅びる」
  13. 「誇り高きイギリスの獅子を我らの足元にひれ伏させた我々が、その子獅子たちを恐れるべきであろうか」
  14. 「私は未来を判断するのに、過去による以外の方法を知らない」
  15. 「私の歩みを導く唯一の灯火は経験という灯火である」
  16. 「希望という幻想に浸るのは自然なことである。我々はそのセイレーンに目を閉ざし、ついには死へと誘われるまで魅了されやすいのだ」
  17. 「私は今や全ての財産を家族に分け与えた。もう一つ彼らに与えたいものがある。それはキリスト教という宗教である」
  18. 「重要な目的は、すべての人が武装することである」
  19. 「聖書はこれまでに印刷された他のすべての書物に匹敵する価値を持つ」
  20. 「奴隷制を正当化するその法と我らの宗教が相容れないことを示すのは、我らが宗教の純潔に対して負うべき義務である」
  21. 「バージニア人、ペンシルベニア人、ニューヨーク人、ニューイングランド人の区別はもはや存在しない。私はバージニア人ではなく、アメリカ人である」
  22. 「これが私が愛する家族に与えるすべての遺産である。キリストの宗教が、真に彼らを富ませる遺産を与えてくれるだろう」
  23. 「私に関して言えば、たとえどれほど心を痛めることであっても、私は真実のすべてを知りたい。最悪を知り、それに備えたいのだ」
  24. 「我らは自由を基盤として築かれた政府を持つ民の子孫である。偉大なるイギリスの先祖たちは、あらゆるものの基礎として自由を据えた。その国が偉大で、強大で、輝かしい国家となったのは、政府が強力で精力的であったからではなく、自由こそが直接の目的であり基盤であったからなのだ」
  25. 「我らはついに、自らの防衛のために武器を託されることすら許されぬという、これほど屈辱的で卑しむべき堕落へと至ったのだろうか」