「ヨギは、複雑に入り組んだ人間的欲望を、比類なき神に捧げられた一神教的な大いなる炎に供える。これこそが真のヨーガの火の儀式であり、過去と現在のすべての欲望が、神聖なる愛によって燃料として消費されるのである」

- 1893年1月5日~1952年3月7日(59歳没)
- インド出身
- ヨーガ指導者
英文
”The yogi offers his labyrinthine human longings to a monotheistic bonfire dedicated to the unparalleled God. This is indeed the true yogic fire ceremony, in which all past and present desires are fuel consumed by love divine.”
日本語訳
「ヨギは、複雑に入り組んだ人間的欲望を、比類なき神に捧げられた一神教的な大いなる炎に供える。これこそが真のヨーガの火の儀式であり、過去と現在のすべての欲望が、神聖なる愛によって燃料として消費されるのである」
解説
この言葉は、ヨガの実践を霊的犠牲の象徴として描いている。ヨギは単に肉体的な鍛錬をする存在ではなく、心の奥深くに潜む欲望や執着を神に捧げる行為を通じて浄化を目指す者である。ここで言う「火の儀式」とは、インドの伝統的な供儀の比喩であり、欲望を神聖な炎に投じて燃やし尽くすことで、魂が愛と純粋性に包まれることを意味している。
背景として、ヨガナンダは西洋にヨガを広める際、単なる身体修行や呼吸法にとどまらず、神への奉献と内的変容を強調した。20世紀の物質主義社会において、人々は欲望に振り回されていたが、彼はヨガを通じてそれらを手放し、唯一の神への愛と合一を説いた。この「火の儀式」は、外的な儀礼よりも内的な心の浄化を指すものである。
現代においても、この比喩は示唆に富んでいる。欲望や不安、過去の執着を心に抱え込むことは、人間を重苦しくする。しかしそれらを「神聖な愛の火」に委ねるならば、心は軽くなり、自己超越と精神的自由が得られる。たとえば、瞑想や祈りを通じて心の煩悩を手放すことは、まさに現代版の「火の儀式」であると理解できるのである。
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