「好きか嫌いかはともかく、私はサッカーを評価するようになった。どんな子でもプレーできるという点で、進歩的な学校の包括的な方針に合致している。ただし『どんな子でもプレーできる』ということは、『すべての子がプレーしなければならない』ということであり、それが進歩的な包摂主義の温かい抱擁に秘められた鉄の握力である」

P・J・オローク(画像はイメージです)
P・J・オローク(画像はイメージです)
  • 1947年11月14日~2022年2月15日(74歳没)
  • アメリカ合衆国出身
  • 政治風刺作家、ジャーナリスト、ユーモリスト

英文

“Like it or not, I’ve come to appreciate soccer. Any kid can play, which fits with the inclusive agenda of progressive schools. Although the corollary to ‘any kid can play’ is that every kid must play because there is an iron grip to the warm hug of progressive inclusionism.”

日本語訳

「好きか嫌いかはともかく、私はサッカーを評価するようになった。どんな子でもプレーできるという点で、進歩的な学校の包括的な方針に合致している。ただし『どんな子でもプレーできる』ということは、『すべての子がプレーしなければならない』ということであり、それが進歩的な包摂主義の温かい抱擁に秘められた鉄の握力である」

解説

この言葉は、進歩的教育の理念とそれに伴う強制力を風刺的に描いている。P・J・オロークは一見サッカーというスポーツの公平性を認めつつも、それが教育現場で過剰な平等主義の手段として用いられていると警鐘を鳴らしている。

「どんな子でもプレーできる」という肯定的な面の裏に、「すべての子がプレーしなければならない」という強制的な同調圧力が生まれるという指摘は、善意の仮面をかぶった規律の強制という現象を皮肉っている。特に「iron grip(鉄の握力)」という表現は、温かさの裏にある抑圧の存在を際立たせている。

この名言は、現代社会における「包括性」や「多様性」への過剰なこだわりが、逆に自由や個性の抑圧につながる可能性を示している。学校や社会が「全員参加」を求めるとき、そこに選択の自由がどこまで残されているかを問い直す鋭い視点である。

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