「私はオハイオ州トレドの出身だ。この町は自動車産業が日本へ移ったことで大きな打撃を受けた。それでも私は、自分が育った地域で車の工員たちがどんな暮らしをしていたかを覚えている。私の父は自動車のセールスマンで、私たちがどう暮らしていたかを覚えている。私たちは実に質素に暮らしていた」

P・J・オローク(画像はイメージです)
P・J・オローク(画像はイメージです)
  • 1947年11月14日~2022年2月15日(74歳没)
  • アメリカ合衆国出身
  • 政治風刺作家、ジャーナリスト、ユーモリスト

英文

“I come from Toledo, Ohio, a town that has been hurt badly by the shift of the automobile business towards Japan. And yet I remember how the car workers lived in the neighborhood that I grew up in. My father was a car salesman, and I remember how we lived. I remember how modestly we lived.”

日本語訳

「私はオハイオ州トレドの出身だ。この町は自動車産業が日本へ移ったことで大きな打撃を受けた。それでも私は、自分が育った地域で車の工員たちがどんな暮らしをしていたかを覚えている。私の父は自動車のセールスマンで、私たちがどう暮らしていたかを覚えている。私たちは実に質素に暮らしていた」

解説

この名言は、経済のグローバル化とその地域社会への影響を、個人的な記憶とともに語ったものである。P・J・オロークは、自身の故郷であるトレドという工業都市が日本との競争によって衰退したことを述べながらも、そこに被害者意識や怒りではなく、冷静な回想と生活の実感を込めて語っている。

特に印象的なのは、「質素に暮らしていた」という繰り返しである。それは、経済的に豊かでなくとも誇りを持って生活していた時代の記憶であり、同時に労働者階級の慎ましさと誠実さへの敬意でもある。このような描写は、単なる懐古ではなく、現代の過剰な消費主義や自己正当化に対する暗黙の批判を含んでいる。

この発言は、グローバル経済の変化に晒されながらも、自らの出自と労働者の生活に尊厳を見出す視点を提示している。オロークはここで、政治的主張を押し付けるのではなく、個人の記憶を通して経済の変容と人間の生き方の関係を浮き彫りにするという、ジャーナリストとしての語りの力を発揮している。

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