「ユーモア作家であるというのは、自分の意思でなるものではない。なぜなら、面倒を引き起こすとわかっている場面でも、ユーモリストはつい面白いことを言ってしまうからだ。どんなに不適切であっても」

P・J・オローク(画像はイメージです)
P・J・オローク(画像はイメージです)
  • 1947年11月14日~2022年2月15日(74歳没)
  • アメリカ合衆国出身
  • 政治風刺作家、ジャーナリスト、ユーモリスト

英文

”Being a humorist is not a voluntary thing. You can tell this because in a situation where saying a funny thing will cause a lot of trouble, a humorist will still say the funny thing. No matter how inappropriate.”

日本語訳

「ユーモア作家であるというのは、自分の意思でなるものではない。なぜなら、面倒を引き起こすとわかっている場面でも、ユーモリストはつい面白いことを言ってしまうからだ。どんなに不適切であっても」

解説

この名言は、ユーモリストという存在の本質と、その「制御できなさ」を赤裸々に語った自己分析的な一言である。P・J・オロークはここで、ユーモリストは場にふさわしいかどうかに関係なく、面白さを優先してしまう性(さが)を持つと述べている。それは、単なる職業的選択ではなく、反射的かつ不可避な性格の一部だという認識だ。

「No matter how inappropriate(どんなに不適切でも)」というフレーズには、ユーモリストが空気を読まないのではなく、読んだうえでなお発言してしまう葛藤が込められている。つまり、それは無神経さではなく、笑いの可能性に抗えない衝動なのだ。

この名言はまた、ユーモアが持つ自由とリスクの両義性を浮き彫りにしている。笑いは時に救いであり、批評の手段である一方で、場を壊し、人を傷つける力も持つ。オロークはそのジレンマを、自己正当化ではなく、自嘲と共感を込めた告白として表現している。この言葉には、笑いの才能とは「黙っていられない才能」でもあるという、誠実なリアリズムがにじんでいる。

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