「国家としてのクウェートは、ある意味で自由そのものから解放されてきた。コンスタンティノープル、リヤド、バグダッドに次々と支配され、クウェートはトルコ人をペルシャ人と争わせ、アラブ人同士を争わせ、そしてイギリス人をすべての者と争わせることで生き延びてきた」

- 1947年11月14日~2022年2月15日(74歳没)
- アメリカ合衆国出身
- 政治風刺作家、ジャーナリスト、ユーモリスト
英文
”As a nation, Kuwait has been, arguably, free of freedom itself. Claimed in turn by Constantinople, Riyadh, and Baghdad, Kuwait has survived by playing Turks off Persians, Arabs off one another, and the English off everyone.”
日本語訳
「国家としてのクウェートは、ある意味で自由そのものから解放されてきた。コンスタンティノープル、リヤド、バグダッドに次々と支配され、クウェートはトルコ人をペルシャ人と争わせ、アラブ人同士を争わせ、そしてイギリス人をすべての者と争わせることで生き延びてきた」
解説
この言葉は、P・J・オロークがクウェートの歴史的な立ち位置を皮肉と歴史的事実を交えて語ったものである。クウェートは長らく大国の狭間に置かれ、自律的な「自由国家」としての歩みを持ちにくかった。むしろ列強や周辺勢力の影響下にあり、巧みに勢力を利用し合うことで国家として生き残ってきたという現実が指摘されている。
「free of freedom(自由から自由である)」という逆説的な表現には、クウェートが真の独立や自由を経験してこなかった歴史的皮肉が込められている。そして、列強や近隣諸国の力を互いにぶつけ合わせることで存続してきたという描写は、小国外交のしたたかさと同時に、その脆弱さを示している。
現代に応用すれば、この言葉は地政学的に不安定な地域における小国の宿命を象徴している。強国の思惑に翻弄されながらも、生き残るためにバランスを取り続ける。オロークの言葉は、単なる歴史の皮肉を超えて、国際政治における自由と独立の相対性を浮き彫りにしているのである。
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