「他人の悲劇には、いつもどこか無限に卑小な部分がある」

オスカー・ワイルド
オスカー・ワイルドの名言
  • 1854年10月16日~1900年11月30日
  • アイルランド出身
  • 作家、詩人、劇作家
  • 『ドリアン・グレイの肖像』『真面目が肝心』『サロメ』などの小説、戯曲、詩を執筆し、ウィットに富んだ社会批評とユーモアを通じて、19世紀後半のイギリス文学に大きな影響を与えた

英文

“There is always something infinitely mean about other people’s tragedies.”

日本語訳

「他人の悲劇には、いつもどこか無限に卑小な部分がある」

解説

オスカー・ワイルドはこの名言で、他人の不幸や悲劇を目にしたときの人間の冷たさや無関心、あるいは利己的な感情を皮肉交じりに表現している。自分の不幸や悲劇には深い悲しみや共感が伴う一方で、他人の不幸を見たときには、その悲劇を完全に理解しようとしないばかりか、他人事として一歩引いた視点で見てしまうことがある。この「卑小さ」は、他者の苦悩に共感しきれない人間の感情や態度を示唆し、ワイルドはそこに人間の本性の一部を見ているのである。

この名言は、現代においても共感と他人事の境界について考えさせる。他人の悲劇をメディアやニュースを通じて目にするとき、私たちはその出来事に一時的な感情を抱くことがあっても、自分の生活に戻ればすぐに忘れてしまうことが多い。たとえば、他者の不幸が話題となると、ある種の興味や好奇心が先行し、真に寄り添う姿勢が欠けてしまう場合もある。ワイルドの言葉は、他人の不幸に対する私たちの態度の冷淡さや一歩引いた視点を批判し、人間の感情が持つ限界や皮肉な側面について考えさせてくれる。

また、この名言は、共感の限界と他者の痛みに対する無関心についての洞察を示している。他人の悲劇が自分に直接関わらない場合、どこか「無限に卑小な」態度で見てしまうのは、人間の持つ自然な感情の一部かもしれない。ワイルドはこの言葉を通じて、他人の痛みや悲劇に対する冷淡さを直視し、人間が真に共感し、寄り添うことの難しさについても示唆している。この言葉は、他者への共感をどう深めるか、またその共感が持つ限界についても再考させてくれるものである。

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