「結局のところ、アメリカは発見されたのではなかったのかもしれない。単に発見されたように見えただけだと私は思う」
- 1854年10月16日~1900年11月30日
- アイルランド出身
- 作家、詩人、劇作家
- 『ドリアン・グレイの肖像』『真面目が肝心』『サロメ』などの小説、戯曲、詩を執筆し、ウィットに富んだ社会批評とユーモアを通じて、19世紀後半のイギリス文学に大きな影響を与えた
英文
“Perhaps, after all, America never has been discovered. I myself would say that it had merely been detected.”
日本語訳
「結局のところ、アメリカは発見されたのではなかったのかもしれない。単に発見されたように見えただけだと私は思う」
解説
オスカー・ワイルドはこの名言で、アメリカの発見という歴史的な事実を皮肉的に見つめ、単なる「発見」以上の表現が必要だと示唆している。ここで彼が言う「発見」と「検出」の違いは、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を見つけたことを「発見」と称しながら、そこにすでに存在していた先住民の文化や歴史を見過ごしたり、尊重しなかったことへの批判が込められている。ワイルドは、アメリカ大陸がヨーロッパの価値観に基づいて「発見」されたものの、真に理解され、尊重されたわけではないと暗に伝えているのである。
この名言は、現代においても歴史的発見や他文化への理解について考えさせる。歴史上、多くの土地や文化が「発見」されたとされるが、その発見が一方的であり、元からそこに存在していた文化や価値が適切に理解されないままに進行したケースが少なくない。たとえば、植民地主義の時代に「発見」された土地や人々は、その文化を尊重されることなく支配や搾取の対象となった。このワイルドの言葉は、「発見」という概念がしばしば一方的なものであり、真に理解する姿勢が欠けていたことへの批判を表している。
また、この名言は、異文化に対する表面的な理解と真の認識の違いについても触れている。ワイルドは、物理的な発見や到達だけでなく、他者や他文化に対する深い理解が必要であることを示唆している。異文化を尊重し、表面的な認識を超えた理解が伴わない限り、真の発見とは言えない。ワイルドのこの言葉は、歴史的な「発見」が何を意味するのかを再考し、異文化や他者に対する真摯な理解の必要性を強調しているのである。
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