「ヘンリー・ジェイムズ氏は、まるで小説を書くことが苦痛な義務であるかのように小説を書く」
- 1854年10月16日~1900年11月30日
- アイルランド出身
- 作家、詩人、劇作家
- 『ドリアン・グレイの肖像』『真面目が肝心』『サロメ』などの小説、戯曲、詩を執筆し、ウィットに富んだ社会批評とユーモアを通じて、19世紀後半のイギリス文学に大きな影響を与えた
英文
“Mr. Henry James writes fiction as if it were a painful duty.”
日本語訳
「ヘンリー・ジェイムズ氏は、まるで小説を書くことが苦痛な義務であるかのように小説を書く」
解説
オスカー・ワイルドはこの名言で、作家ヘンリー・ジェイムズの作風に対する批判と皮肉を込めている。ジェイムズの小説は緻密で繊細な心理描写や構成が特徴であり、文学的な評価は非常に高いが、一方で、重々しく複雑な文体や物語の進行の遅さが「読みにくい」とされることも少なくない。ワイルドは、ジェイムズの執筆スタイルがあまりにも真剣で労力がかかりすぎているため、まるで楽しんでいるというよりも義務感に駆られて書いているように見えると揶揄しているのである。
この名言は、芸術や創作活動における「楽しみ」と「義務」のバランスについて考えさせる。創作はしばしば労力や努力を伴うものであり、完成度や精密さが追求されるほど苦痛や重圧が増すこともある。しかし、ワイルドの言葉は、芸術には自由や楽しさが伴うべきだという考えを反映しているともいえる。ワイルドの皮肉には、文学や芸術が過度に厳格であると失われる軽やかさや楽しみが重要だというメッセージが込められている。
また、この言葉は創作における情熱と作風の違いについても示唆している。ワイルド自身は、ユーモアとウィットを持ち、皮肉や逆説的な表現を好んで使った作家であり、彼の作品には楽しさやエネルギーが溢れている。対照的に、ジェイムズは内面の探究に重点を置き、重厚で丁寧な筆致を持っていたため、ワイルドにはその作風が「義務的」なものに映ったのかもしれない。ワイルドのこの名言は、作風やアプローチが異なる芸術家同士の視点の違いを浮き彫りにし、芸術において表現する楽しさと労力の関係を考えさせるものである。
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