「美しい彫像を鑑賞する際、審美的な感覚は、私たちの訴えに答えない大理石の唇の見事な曲線に、私たちを助けることのできない高貴な四肢の造形に、完全に満たされる」
- 1854年10月16日~1900年11月30日
- アイルランド出身
- 作家、詩人、劇作家
- 『ドリアン・グレイの肖像』『真面目が肝心』『サロメ』などの小説、戯曲、詩を執筆し、ウィットに富んだ社会批評とユーモアを通じて、19世紀後半のイギリス文学に大きな影響を与えた
英文
“In judging of a beautiful statue, the aesthetic faculty is absolutely and completely gratified by the splendid curves of those marble lips that are dumb to our complaint, the noble modelling of those limbs that are powerless to help us.”
日本語訳
「美しい彫像を鑑賞する際、審美的な感覚は、私たちの訴えに答えない大理石の唇の見事な曲線に、私たちを助けることのできない高貴な四肢の造形に、完全に満たされる」
解説
オスカー・ワイルドはこの名言で、美術作品が持つ冷静さと、それに対する人間の審美的な感動について述べている。彫像は美しさや完璧さを追求して作られているが、それは無言であり、また人間のように感情を持ったり助けを差し伸べたりすることができない存在である。それにもかかわらず、観る者の美的感覚は、この無情で無力な造形に強く満たされ、感動を覚える。ワイルドは、美の追求が単なる実用性や応答性を超越し、無条件で完結したものであることを示唆している。
この名言は、現代においても美と機能性の区別について深い洞察を与えている。美術作品や芸術は、必ずしも実用的な役割や観る者の要求に応える存在ではなく、純粋な美しさそのものが価値を持つ。たとえば、彫像や絵画のような芸術作品は、観る者に慰めや救済を与えるわけではないが、その完成された形や構成の美しさが、観る者の感覚を刺激し、深い満足感をもたらす。ワイルドの言葉は、美が機能や応答性に頼らず、それ自体で人々に強い感動を与える力を持つことを示している。
また、この名言は、美的感覚と人間の欲求の対比についても考えさせる。彫像は人間のような感情を持たず、ただ静かに存在しているだけであるが、それがかえって美的な完成度を高め、観る者に特別な感情を喚起させる。ワイルドはこの言葉を通じて、芸術作品が単なる装飾以上の意味を持ち、鑑賞者の感性や知覚を揺り動かす存在であることを伝えている。この名言は、美の中にある人間的な欲求との断絶が、むしろその美を際立たせる要素となっていることを示し、私たちに純粋な美の価値について再考するきっかけを与えてくれるものである。
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