「60年代、ベトナム戦争が続いていたとき、私たちは平和のために闘いました。警官や政治家に反対し、多くの旗を振るなどの活動をしていました。そしてある意味で、彼らが戦争のマッチョイズムを楽しんでいたのと同じように、私たちは反戦のマッチョイズムを楽しんでいたのだと思います」

- 1933年2月18日~
- 日本出身(後にアメリカ合衆国に帰化)
- 前衛芸術家、音楽家、平和活動家、「ジョン・レノンの妻」
英文
”In the ’60s we fought for peace, when the Vietnam war was on. We were against the cops and against the politicians, and there was a lot of waving banners and all that. And I think in a way, just as they were enjoying that machoism of war, we were enjoying the machismo of being anti-war, you know?”
日本語訳
「60年代、ベトナム戦争が続いていたとき、私たちは平和のために闘いました。警官や政治家に反対し、多くの旗を振るなどの活動をしていました。そしてある意味で、彼らが戦争のマッチョイズムを楽しんでいたのと同じように、私たちは反戦のマッチョイズムを楽しんでいたのだと思います」
解説
この言葉は、1960年代の反戦運動の内面を振り返ったものだ。オノ・ヨーコは当時、ジョン・レノンと共に反戦活動を行い、平和を訴える象徴的な存在となった。しかしここでは、その運動の中にも「戦う喜び」や「対立構造の中での高揚感」が存在したことを率直に認めている。つまり、反戦という大義にも自己表現や力の誇示が混じっていたという自己批判的な洞察である。
オノ・ヨーコの発言は、単に「平和活動は正義だった」と総括するのではなく、当時の運動が抱えていた矛盾をも明らかにしている。戦争における「マッチョイズム(力や支配を誇示する態度)」と同じように、反戦活動にも自己満足や集団的な高揚感が潜んでいたという視点は、運動の歴史をより多面的に理解させる。
現代社会においても、政治的・社会的運動は時に「正義」の旗印の下で自己表現や集団的な熱狂に陥ることがある。オノ・ヨーコの言葉は、大義を掲げる運動であっても内省が必要であり、真の平和や変革は冷静な自己理解の上に築かれることを教えているのである。
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