「所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか」

- 1867年2月9日~1916年12月9日(49歳没)
- 日本出身
- 小説家、評論家、英文学者
原文
「所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか」
解説
この言葉は、人間はそれぞれが心の中に抱えた不安や葛藤、あるいは自己破壊的な要素を持ちながら、最終的には死へ向かって歩んでいるという漱石の人生観を、比喩的かつ皮肉な筆致で描いている。「夢の間に製造した爆裂弾」は、自らの欲望、恐怖、過去の過ち、自己矛盾などを象徴しており、それらは日々の中で無意識のうちに作られていく。そして「談笑しつつ歩いて行く」とは、そうした内なる爆弾を抱えながらも、表面上は平然と日常を営む人間の姿を意味する。
この背景には、漱石の死生観と人間心理への洞察がある。明治期の日本は急速な近代化と社会変動の中にあり、人々は外面的には進歩や幸福を装いながら、内面では不安や矛盾を抱えていた。漱石は、死という避けられない終点へ向かう旅の中で、人はそれぞれが抱える爆弾を手放せないまま生きていると見ていた。
現代においても、この比喩は強い説得力を持つ。誰もが自分なりの「爆裂弾」を抱えており、それは健康不安、人間関係の問題、経済的リスクなど形を変えて存在する。漱石のこの言葉は、人生の有限性と人間の内面の矛盾を受け入れながら、それでも笑い合い、歩み続けるしかないという諦観とユーモアを同時に伝えている。
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