「愛は尤も真面目なる遊戯である。遊戯なるが故に絶体絶命の時には必ず姿を隠す。愛に戯むるる余裕ある人は至幸である」

- 1867年2月9日~1916年12月9日(49歳没)
- 日本出身
- 小説家、評論家、英文学者
原文
「愛は尤も真面目なる遊戯である。遊戯なるが故に絶体絶命の時には必ず姿を隠す。愛に戯むるる余裕ある人は至幸である」
解説
この言葉は、愛が極めて真剣であると同時に、本質的には遊びの性質を帯びているという二面性を示している。「真面目なる遊戯」という表現は、愛が人の人生において重大な意味を持ちながらも、その根底には軽やかさや楽しみがあることを指している。そして「遊戯」であるがゆえに、生命や生活が危機に瀕する絶体絶命の場面では、愛はその優先順位を譲り、表舞台から姿を消すという現実も含意している。
背景には、夏目漱石の愛情に対する現実主義的かつユーモラスな視点がある。当時の恋愛観は理想化されがちだったが、漱石は愛を人生の全てとは見なさず、状況によっては退くものと理解していた。それは、愛を神格化するのではなく、人間の営みの一部として位置づける姿勢である。
現代においても、この考えは示唆的である。例えば社会的・経済的危機や切迫した判断を迫られる場面では、恋愛は後回しになることが多い。一方、平穏な時にこそ人は愛を楽しみ、心を遊ばせる余裕を持てる。その意味で、愛に戯れる余裕があること自体が、すでに幸福の証明なのである。
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