「私の時間の遣操に拙なのは、金の遣操に拙なのと同一である。拙は蔵するが常である。併し拙を蔵するのも、金を蔵すると同一で、気苦労である」

- 1862年2月17日~1922年7月9日(60歳没)
- 日本出身
- 小説家、評論家、翻訳家、軍医
原文
「私の時間の遣操に拙なのは、金の遣操に拙なのと同一である。拙は蔵するが常である。併し拙を蔵するのも、金を蔵すると同一で、気苦労である」
解説
この言葉は、時間の使い方が下手であることと、金銭の使い方が下手であることは似ているという比喩から始まっている。ここでいう「拙」とは「下手」「不器用」の意であり、作者は自分がどちらも「使うより溜め込むほうが常」という傾向を持つと述べている。つまり、時間もお金も浪費せず、むしろ抱え込んでしまう性格を表している。
しかし後半では、その「蔵する」こと自体も楽ではないと指摘する。お金を貯め込むのに神経を使うように、時間を守り、無駄にしないようにすることも精神的な負担になるということだ。この視点は、節約や貯蓄を美徳とする価値観の裏に潜む、管理や維持のためのストレスを浮き彫りにしている。
現代的に置き換えると、スケジュールや財産の管理に極端な慎重さを持つ人は、無駄を減らせる一方で、それを守ること自体が日常のプレッシャーになるという教訓になる。時間もお金も「溜め込む」だけでは幸福につながらず、適切な使い方を見極める柔軟さが必要である。
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