「常識は基督を生ぜず、常見は釈迦を成さず、『コンモン、センス』の間には一個の大詩人を着くべきところだにあらざるべし」

- 1862年2月17日~1922年7月9日(60歳没)
- 日本出身
- 小説家、評論家、翻訳家、軍医
原文
「常識は基督を生ぜず、常見は釈迦を成さず、『コンモン、センス』の間には一個の大詩人を着くべきところだにあらざるべし」
解説
この言葉は、常識や凡庸な見解の枠内からは偉大な人物や芸術家は生まれないという思想を表している。森鴎外は、キリストや釈迦のような歴史的偉人は、当時の社会通念や一般的価値観を超越したからこそ生まれたと述べている。そして英語の「common sense(常識)」という概念もまた、人間を安全な範囲に留め、飛躍や革新を阻むと指摘している。
この発想の背景には、明治から大正期の日本における西洋思想の導入と、それに伴う価値観の揺れがある。近代化の中で常識や合理性は重視されたが、それだけでは芸術や思想の革新は生まれにくい。鴎外は、歴史を動かす人物や大詩人は、しばしば常識から逸脱し、時に狂気や異端と見なされる発想を持つと理解していた。革新には「常識外れ」の視点が不可欠というのがこの言葉の核心である。
現代においても、この洞察は創造性やイノベーションの分野で有効である。新しい科学理論、芸術表現、社会運動はいずれも既存の常識に挑戦するところから始まる。常識は安定をもたらすが、偉業は常識を超えた地点からしか生まれないという鴎外の指摘は、時代を越えて創造の本質を突いている。
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