「今私が此鉢に水を掛けるように、物に手を出せば弥次馬と云う。手を引き込めておれば、独善と云う。残酷と云う。冷澹と云う。それは人の口である。人の口を顧みていると、一本の手の遣所もなくなる」

- 1862年2月17日~1922年7月9日(60歳没)
- 日本出身
- 小説家、評論家、翻訳家、軍医
原文
「今私が此鉢に水を掛けるように、物に手を出せば弥次馬と云う。手を引き込めておれば、独善と云う。残酷と云う。冷澹と云う。それは人の口である。人の口を顧みていると、一本の手の遣所もなくなる」
解説
この言葉は、他人の評価や批判に左右されることの無意味さを示している。何かに関われば「余計なお世話」と言われ、関わらなければ「冷淡」「独善」と非難される。このように、人の口は状況に応じていくらでも批判を作り出すため、それを基準に行動していては、自分の意思で何もできなくなるという警句である。
森鴎外が生きた明治から大正期は、新聞や雑誌を通じた言論活動が活発化し、知識人や公的立場の人物は常に世論の評価にさらされていた。鴎外自身も作家・軍医・官僚として批判を受ける立場にあり、他人の評価を過度に気にすれば行動の自由を失うことを身をもって知っていた。この言葉は、そうした経験から生まれた現実的な人生観を反映している。
現代においても、SNSやメディアの影響で、誰もが容易に批判や評価を受ける時代となっている。善意で行動しても「偽善」と言われ、行動しなければ「無関心」と言われる状況は珍しくない。その中で重要なのは、自分の価値観と目的を基準に行動を選び、他人の口先に振り回されない姿勢である。この言葉は、そのための覚悟を促している。
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