「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」

- 1896年8月27日~1933年9月21日(37歳没)
- 日本出身
- 詩人、童話作家、農業指導者
原文
「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」
解説
この言葉には、宮沢賢治が追い求めた質素で精神的に豊かな生き方が凝縮されている。物質的な豊かさを持たずとも、自然の中にある風や光といった無償の恵みによって、人は心を満たすことができるというメッセージが込められている。「氷砂糖」というのは当時の子どもたちにとってちょっとした贅沢の象徴であり、それすら持たなくても生きていけるという感性は、欲望に支配されない清らかな精神のあり方を象徴している。
「風をたべ」「日光をのむ」という詩的表現は、宮沢賢治独特の自然との一体感の描写である。これは単なる比喩ではなく、彼にとっては実感としての感謝と恵みの受容であった。彼の作品には、物質的所有を超えて自然の美しさに触れることこそが本当の幸福であるという思想が貫かれている。それは、仏教的な足るを知る心や、法華経的な宇宙との調和とも響き合っている。
現代において、消費社会や過剰な情報の中で私たちはしばしば「もっと」を求めがちである。そんな時、この言葉は「今あるものの中にこそ、満ち足りた幸せがある」という、自然と共に生きる静かな豊かさを思い出させてくれる。見過ごされがちな風や光の美しさを味わうこと。それが、宮沢賢治の語る本当の自由と喜びなのである。
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