「ああ、輝く四月の底を、歯ぎしりしながら燃えて行き来する。私はひとりの修羅なのだ」

- 1896年8月27日~1933年9月21日(37歳没)
- 日本出身
- 詩人、童話作家、農業指導者
原文
「ああかがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする おれはひとりの修羅なのだ」
現代語訳
「ああ、輝く四月の底を、歯ぎしりしながら燃えて行き来する。私はひとりの修羅なのだ」
解説
この詩句は、宮沢賢治の詩集『春と修羅』に含まれる象徴的な一節である。「四月の底」とは、春の光が満ちる自然界の明るさと、内面の苦悩が交錯する場を意味している。「はぎしり燃えて」という表現は、内面の激しい葛藤と情熱を示し、表面的な春の穏やかさとは対照的な精神の荒々しさを表している。ここには、自然の美しさと人間の内面の闘争との対比が込められている。
賢治は、宗教的・哲学的な問いと向き合い続けた詩人であり、「修羅」という言葉には、仏教的な意味合いが色濃く含まれている。修羅とは、本来は戦闘を好む神であり、争いの象徴であるが、ここでは自己との闘いに苦しむ人間の姿が重ねられている。彼が「ひとりの修羅なのだ」と述べるとき、それは社会や自然、そして己自身と戦う宿命を受け入れる覚悟の宣言である。
この表現は、現代にも通じる普遍的なメッセージを含む。例えば、社会の矛盾や孤独に直面しながら、自分の信じる道を生きる人々の姿と重ねることができる。春という明るい季節に、あえて燃え尽きるような激情を語ることで、美しさの裏にある苦しみや覚悟の深さを私たちに突きつけているのである。
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