「デジタルに侵されてるんですよね。自分の見たものではなくて、とにかくビデオカメラか、携帯か、なんかで撮った画像で世界を見てる」

- 1941年1月5日~
- 日本出身
- アニメーション監督、映画監督、脚本家、スタジオジブリ共同創設者
原文
「デジタルに侵されてるんですよね。自分の見たものではなくて、とにかくビデオカメラか、携帯か、なんかで撮った画像で世界を見てる」
出典
続・風の帰る場所 映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか
解説
この言葉は、現代人が自分の目で世界を見なくなっている危険性を指摘している。デジタル機器の発達によって、記録することが見ることと混同され、体験よりも映像の確保が優先される風潮が広がっている。宮崎はそれを「侵されている」と表現し、視覚と感性の退化を強く懸念している。
彼の作品づくりでは、自然や人間の微細な揺らぎを観察する姿勢が根幹にある。だからこそ、自分の目で見て感じる時間を失うことは、想像力や生きる力を失うことにつながると感じている。記録された画像は一見客観的だが、そこには体験の熱も驚きも含まれない。宮崎は、世界との直接的な関係を取り戻す必要性を訴えているのである。
現代社会では、SNSや動画の拡散が日常化し、世界を「共有するために見る」傾向が強まっている。しかしこの言葉は、本当に見るとは、その瞬間を心に刻むことだという視点を思い出させる。デジタルは便利だが、世界との隔たりを生む危険もある。宮崎の警告は、自分の目と感性で世界を受け止める生き方を守ることの重要性を問いかけているのである。
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