「やっぱりねぇ、『それから』になり『道草』になってね、『明暗』になってしまうんですよ。それは、作家性をちょっとでも持ってたら、もうそうならざるをえない」

- 1941年1月5日~
- 日本出身
- アニメーション監督、映画監督、脚本家、スタジオジブリ共同創設者
原文
「やっぱりねぇ、『それから』になり『道草』になってね、『明暗』になってしまうんですよ。それは、作家性をちょっとでも持ってたら、もうそうならざるをえない」
出典
続・風の帰る場所 映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか
解説
この言葉では、夏目漱石の『それから』『道草』『明暗』という三つの作品を引用しながら、創作者が避けられない「自己の深部」との対峙を語っている。『それから』では主人公・代助が社会的責任や恋愛の葛藤に苦悩し、『道草』では漱石自身の体験を色濃く反映した私小説的手法が用いられ、そして『明暗』では人間の心理の奥底を徹底的に描き出している。宮崎駿はこれらの流れを、「作家が内面を掘り下げていく必然的な道筋」として捉えているのである。
つまり、作家として本物を目指すなら、人間の複雑な感情や醜さ、逃れがたい葛藤を描かざるをえないという認識がある。『明暗』に至る流れとは、単なる物語の深化ではなく、自己の核心に触れる苦しい過程である。宮崎はこの言葉を通して、創作とは娯楽や表層的な題材を超え、「自分が何者であるか」を問い続ける行為であると示している。夏目漱石の晩年の作品群は、その問いが極限まで研ぎ澄まされた結果であり、それこそが「作家性」の成長であると理解していたのである。
現代社会でも、創作活動には自己の内面との格闘が求められる。娯楽性や人気だけを追えば『吾輩』的な軽さを保てるが、本当に書きたいものへ踏み込むと、『それから』『道草』『明暗』のように、人間存在そのものを掘り下げる段階へ至る。宮崎駿はこの言葉で、作家として生きる以上、人間の複雑さと向き合う運命からは逃れられないと語っているのである。
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