「どんな浅薄な流行でも、それがおわるとき、人々は自分の青春と熱狂の一部分を、その流行と一緒に、時間の墓穴へ埋めてしまう」

- 1925年1月14日~1970年11月25日
- 日本出身
- 小説家、劇作家、評論家、政治活動家
原文
「どんな浅薄な流行でも、それがおわるとき、人々は自分の青春と熱狂の一部分を、その流行と一緒に、時間の墓穴へ埋めてしまう」
解説
この言葉は、三島由紀夫が流行と個人の青春の関係について深く洞察したものである。たとえどんなに軽薄で意味のない流行であっても、それに熱中した若き日の思いや情熱は、流行の終焉とともに静かに過去に葬り去られるという認識が示されている。ここでは、時間の流れによって失われるものの儚さと、流行に託された個人の感情の重さが語られている。
三島は、流行を単なる一過性のものと見なすのではなく、人々がその一時代に注ぎ込んだ真剣な熱狂や夢想もろともに流されていく点に注目していた。浅薄なものでさえ、人々にとってはかけがえのない青春の証であり、それが失われるとき、彼らは自覚せぬままに自分自身の一部を失っているのである。この言葉は、三島が持っていた人生の無常観と、感情の深層への鋭い感受性を象徴している。
現代においても、この感覚は非常に身近である。たとえば、かつて夢中になった音楽、ファッション、文化的ムーブメントが廃れたとき、それに没頭していた自分自身の一部分も過去へと沈んでいく体験は誰しもが持っているだろう。流行とは単なる外面的現象ではなく、個人の青春の一部を刻み、そして失わせるものなのだ。
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