「もし若い頃に、私が恋い焦がれていた永続する美の輝きが、いつの日か私の心に戻り、そこで終わりのない苦しみを引き起こす炎を灯すことを知っていたなら、私はどれほど喜んで自らの目の光を消したことだろう」
- 1475年3月6日~1564年2月18日
- フィレンツェ共和国(現イタリア)出身
- 彫刻家、画家、建築家、詩人
- 『ダビデ像』や『ピエタ』、『システィーナ礼拝堂の天井画』など、ルネサンス芸術を代表する傑作を数多く制作した
英文
“If in my youth I had realized that the sustaining splendour of beauty of with which I was in love would one day flood back into my heart, there to ignite a flame that would torture me without end, how gladly would I have put out the light in my eyes.”
日本語訳
「もし若い頃に、私が恋い焦がれていた永続する美の輝きが、いつの日か私の心に戻り、そこで終わりのない苦しみを引き起こす炎を灯すことを知っていたなら、私はどれほど喜んで自らの目の光を消したことだろう」
解説
この言葉は、美への愛とその愛がもたらす苦悩の両面性を深く表現している。ミケランジェロの作品と人生には、崇高な美への憧れと、それが引き起こす苦しみがしばしば見られる。「美の輝き」は、彼が芸術や愛を通じて追求した理想的な形や感覚を指しており、それが彼の若い頃には純粋な喜びであったが、後には苦痛となったことを示している。この苦痛は、美が手に届かないものであることを悟ったときに生じる内面的な葛藤を表している。
彼の作品、特に「ピエタ」や「最後の審判」には、この美と苦悩の緊張感が顕著に表れている。完璧を追い求める一方で、その追求が果てしないものだと知る痛みが、これらの作品に宿っている感情の深みを与えている。この言葉は、芸術家としての彼の精神的な闘争と、同時にそれが創造の源泉であったことを語っている。
このフレーズは、現代においても普遍的なテーマを持つ。愛や美に対する執着が幸福をもたらす一方で、それが失われたときや、手に入らないと悟ったときの苦しみもまた避けられない。ミケランジェロのこの言葉は、美や愛に対する深い情熱と、それに伴う痛みを共存させながら生きることの複雑さを象徴している。そして、それが人間をより深く成熟させる過程であるという示唆を含んでいる。
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