「たとえ、わずかに一里なら一里、十分なら十分かかる道を歩いている場合でも、何かの体験をするはずです。そこから何ものかをつかんでくる。ほんの一木一草たりとも、すべて自己の向上に役立つのです」

- 1894年11月27日~1989年4月27日(94歳没)
- 日本出身
- 実業家、発明家、パナソニック(松下電器産業)創業者、「経営の神様」
原文
「たとえ、わずかに一里なら一里、十分なら十分かかる道を歩いている場合でも、何かの体験をするはずです。そこから何ものかをつかんでくる。ほんの一木一草たりとも、すべて自己の向上に役立つのです」
出典
君に志はあるか――松下政経塾 塾長問答集
解説
この言葉は、どんな小さな歩みや体験であっても無駄にはならないという考えを示している。松下幸之助は、短い道程や一見取るに足らない経験であっても、そこから学びを得ることができると説いている。つまり、日常の細やかな体験すら自己成長の糧となるという人生観である。
時代背景として、松下は自身の病弱や貧困といった制約の中で生き抜き、小さな経験を積み重ねて経営者として成長した。彼にとって「一木一草」すら学びの対象であり、自然や日々の仕事から得られる気づきを大切にした。これは、大きな成果を求める前に小さな経験を尊ぶ姿勢が、彼の成功を支える基盤となったことを物語っている。
現代においても、この言葉は普遍的な価値を持つ。たとえば日々の雑務や些細な人間関係でのやり取りも、工夫や反省によって自分を高める要素となり得る。旅行や学びの場だけでなく、日常の一瞬一瞬が自己向上の材料であると捉えることで、人生の密度は大きく変わる。名言は、すべての体験を成長の機会に変える心構えの大切さを教えているのである。
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