「私はわずか十五歳で高校課程を修了し、常にクラスで首席を保っていました。成長と勉強による疲労のため、田舎でほぼ一年の休養を余儀なくされました。その後、私はワルシャワの父のもとに戻り、自由学校で教えることを望みました」

マリ・キュリーの名言・格言・警句(画像はイメージです)
  • 1867年11月7日~1934年7月4日
  • ポーランド出身(後にフランスで活動)
  • 物理学者、化学者、教育者

英文

“I was only fifteen when I finished my high-school studies, always having held first rank in my class. The fatigue of growth and study compelled me to take almost a year’s rest in the country. I then returned to my father in Warsaw, hoping to teach in the free schools.”

日本語訳

「私はわずか十五歳で高校課程を修了し、常にクラスで首席を保っていました。成長と勉強による疲労のため、田舎でほぼ一年の休養を余儀なくされました。その後、私はワルシャワの父のもとに戻り、自由学校で教えることを望みました」

解説

この言葉は、マリー・キュリーの類まれな学業成績と若き日の社会的志向を語っている。十五歳という若さで高校課程を首席で終えるという事実は、彼女の並外れた知性と努力を物語っており、その後の科学的業績の土台となる資質をすでに備えていたことを示している。一方で、「成長と勉強による疲労」という表現は、精神的・肉体的負担を正直に受け止めていた姿勢を浮き彫りにしている。

自由学校で教えるという希望は、当時のロシア支配下のポーランドにおける教育と自由の抑圧への抵抗としても意味を持つ。女性が公教育に関わることが制限されていた時代において、知識を共有しようとする彼女の姿勢は、科学者以前に一人の市民としての社会的責任感を表している。この「教える」という行為への志向は、後年における科学の社会的活用や教育への貢献の原点ともなっている。

この一文からは、若くして知性・勤勉・公共心を兼ね備えていた人物像がうかがえる。知識の追求と社会貢献を同時に志すというマリー・キュリーの原点が、ここには静かに、しかし力強く刻まれている。

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