「攻撃がとりわけ痛烈であればあるほど、私はかえって元気になります。なぜなら、個人攻撃に出てくるということは、もはや政治的な議論が一つも残っていないという証拠だからです」

- 1925年10月13日~2013年4月8日
- イギリス出身
- 政治家、弁護士、化学者
英文
“I always cheer up immensely if an attack is particularly wounding because I think, well, if they attack one personally, it means they have not a single political argument left.”
日本語訳
「攻撃がとりわけ痛烈であればあるほど、私はかえって元気になります。なぜなら、個人攻撃に出てくるということは、もはや政治的な議論が一つも残っていないという証拠だからです」
解説
この言葉は、議論の本質と個人攻撃の無力さを冷静に見抜いたサッチャーの鋭い政治的直感を示している。政治における本来の対立は政策や理念をめぐるものであるべきだが、批判が個人の人格や容姿、態度に及ぶとき、それは論理的反論が尽きた証であるという見解を、彼女はユーモアを交えて語っている。
マーガレット・サッチャーは、女性として初の英国首相という立場にあって、性別や話し方、服装までもがしばしば批判の対象とされた。しかし彼女は、そうした攻撃を政治的勝利のサインと捉え、むしろ意気に感じることで、自らの信念と政策に揺るぎを見せなかった。批判に動じない強さと、それを自己肯定に変える精神的なしたたかさが、この名言には凝縮されている。
現代社会においても、SNSやメディアを通じて中身のない批判や人格攻撃が先行する風潮がある。この言葉は、真の議論とは何か、批判をどう受け止めるべきかを考えさせる教訓であり、内容なき攻撃を力と転化する知恵を伝える名言として、多くの人にとって励みとなる。
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