「我々は賞賛への強い欲求によって動かされており、人が優れていればいるほど、よりいっそう栄光に駆り立てられる。栄光を軽蔑する内容の書を著す哲学者たちすら、その書物に自らの名を記すのだ」

紀元前106年1月3日~紀元前43年12月7日
ローマ共和国出身
政治家、弁護士、哲学者、雄弁家
共和政ローマを代表する弁論家・思想家として知られ、ラテン文学とローマ法の発展に多大な影響を与えた。政治的混乱の中で共和政の理想を擁護し、著作を通じて西洋政治思想と修辞学に大きな遺産を残した。
英文
”We are motivated by a keen desire for praise, and the better a man is the more he is inspired by glory. The very philosophers themselves, even in those books which they write in contempt of glory, inscribe their names.”
日本語訳
「我々は賞賛への強い欲求によって動かされており、人が優れていればいるほど、よりいっそう栄光に駆り立てられる。栄光を軽蔑する内容の書を著す哲学者たちすら、その書物に自らの名を記すのだ」
解説
この言葉は、人間が根本的に名誉や賞賛を求める存在であるという現実を、皮肉と観察に満ちた口調で示したキケロの洞察である。彼は、人間の行動動機にある「名声への欲求」は否定すべきものではなく、むしろ優れた人物ほどその衝動を強く持つ傾向があると説いた。そして最も興味深いのは、「栄光を否定する哲学者ですら、自らの名を残そうとする」という逆説的な事実を通して、人間の自己顕示欲の普遍性を鋭く描き出している点である。
この見解は、人間の道徳的動機と社会的欲望との緊張関係を浮き彫りにしている。キケロは単に皮肉を言っているのではなく、徳に基づいた行為が名誉や賞賛という正当な報いにつながることは自然なことであり、栄光への志向そのものが人間を向上させる原動力にもなり得るという複雑な認識を持っていた。彼にとって、栄光を求めること自体が悪なのではなく、それが虚飾に流れるときにのみ非難されるべきであった。
現代においてもこの言葉は示唆に富む。学者や芸術家、活動家が「名誉や報酬を求めない」と口にしながらも、著作に名を記し、表彰や称賛を喜ぶことは珍しくない。SNSなどにおける「無欲な投稿」すら、しばしば承認欲求に支えられている。キケロのこの言葉は、人間の名誉欲が持つ二面性を冷静に見つめ、いかにそれを徳と両立させるかという倫理的課題を静かに問いかけている。
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