「すべての肉体において個々の魂とともに遍在する超魂(Supersoul)を見、魂も超魂も決して滅びることがないと理解する者こそ、真に見る者である」

- 紀元前106年1月3日~紀元前43年12月7日
- ローマ共和国出身
- 政治家、弁護士、哲学者、雄弁家
英文
”One who sees the Supersoul accompanying the individual soul in all bodies and who understands that neither the soul nor the Supersoul is ever destroyed, actually sees.”
日本語訳
「すべての肉体において個々の魂とともに遍在する超魂(Supersoul)を見、魂も超魂も決して滅びることがないと理解する者こそ、真に見る者である」
解説
この言葉は、魂の不滅性と超越的な存在(Supersoul)に対する洞察をもって、真理を見抜く者こそが「真に見ている」のであるという、精神的・宗教的な真理の認識を表現している。ここで言う「Supersoul(超魂)」とは、万物に内在する神的原理、または宇宙的な意識としての存在であり、それが各個人の魂とともに存在することを見抜く目が、「見る」という行為の究極であるとされている。
この思想は、ヒンドゥー教の『バガヴァッド・ギーター』における魂(アートマン)と超魂(パラマートマン)の関係に深く根ざしている。キリスト教やストア派的な内在神観とも類似性があり、個々の存在の中に普遍的真理や神性が宿るという教えは、古代から現代に至るまで多くの宗教・哲学体系に共通している。この言葉は、外的な現象ではなく、内的な真理を見抜く直観的知性こそが「見る力」であるという意味を持つ。
現代においても、この言葉は物質中心的な視点に偏りがちな人間に対し、「精神の本質」や「全体とのつながり」への目覚めの必要性を呼びかけている。たとえば、他者や自然との一体性、生命の尊厳を理解し、見かけに左右されずに本質を見ようとする視点は、宗教的瞑想のみならず倫理・哲学・環境思想においても重視されている。「見る」とは単に目で捉えることではなく、真理と不滅なるものを内的に認識することである――この言葉は、その深遠な気づきを静かに指し示している。
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