「私は時に、自分が書く前にすでに読まれているように感じる。母について詩を書くと、パレスチナ人は私の母をパレスチナの象徴と考える。しかし私は詩人として書いているのであり、母は私の母であって、象徴ではない」

- 1941年3月13日~2008年8月9日(67歳没)
- パレスチナ出身
- 詩人、作家、政治活動家
英文
”Sometimes I feel as if I am read before I write. When I write a poem about my mother, Palestinians think my mother is a symbol for Palestine. But I write as a poet, and my mother is my mother. She’s not a symbol.”
日本語訳
「私は時に、自分が書く前にすでに読まれているように感じる。母について詩を書くと、パレスチナ人は私の母をパレスチナの象徴と考える。しかし私は詩人として書いているのであり、母は私の母であって、象徴ではない」
解説
この言葉は、詩人の個人的表現が共同体や歴史の象徴として解釈されてしまう葛藤を示している。ダルウィーシュにとって母は個人的な存在であり、親子の愛情を描いた詩でもあった。しかしパレスチナ人の多くは、その母を「故郷パレスチナ」の象徴として受け取った。ここには、個人としての詩人と民族の代弁者としての詩人の間に生じる緊張がある。
マフムード・ダルウィーシュは、パレスチナを代表する詩人として世界的に読まれたが、彼自身はあくまで個人の詩的経験から言葉を紡いでいた。母を歌う詩は、民族の記憶を背負った比喩として読まれる一方で、彼にとっては私的で親密な感情の表現であった。この名言には、詩が個人と集団を結びつける力を持つと同時に、詩人の意図を超えて解釈されてしまう現実への複雑な感情が込められている。
現代においても、この言葉は普遍的なテーマを示している。芸術作品はしばしば作者の意図を超えて読まれ、社会的・政治的意味を帯びる。したがってこの名言は、芸術の多義性と、それに伴う詩人の葛藤を鮮やかに描き出しており、創作者と読者の間に生じる距離と緊張を考えさせるものである。
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