「鋭い言葉を使うとき、人を払いのける仕草をするとき、それは暴力である。したがって暴力とは、神や社会や国家の名において行われる組織的な虐殺だけではない。暴力はもっと微妙で、もっと深いところにある」

ジッドゥ・クリシュナムルティ(画像はイメージです)
ジッドゥ・クリシュナムルティ(画像はイメージです)
  • 1895年5月11日~1986年2月17日(90歳没)
  • インド出身
  • 思想家、精神的指導者

英文

”It is violence when we use a sharp word, when we make a gesture to brush away a person. So violence isn’t merely organized butchery in the name of God, in the name of society or country. Violence is much more subtle, much deeper.”

日本語訳

「鋭い言葉を使うとき、人を払いのける仕草をするとき、それは暴力である。したがって暴力とは、神や社会や国家の名において行われる組織的な虐殺だけではない。暴力はもっと微妙で、もっと深いところにある」

解説

この言葉は、暴力の本質を広く捉える視点を示している。一般に暴力は戦争や殺戮といった極端な形で理解されがちだが、クリシュナムルティは日常的な言葉や態度の中にも暴力が潜んでいると指摘する。軽蔑や拒絶の仕草、鋭い言葉は肉体的な攻撃ではなくとも、人の心に深い傷を与えるため、それもまた暴力であるとするのである。

ここで重要なのは、暴力が表面的な行為を超えて心理的な次元に根ざしているという点である。暴力は社会的・宗教的な大義名分のもとに組織的に現れるだけでなく、個人の欲望や恐れ、敵意から日常的に生じる。つまり、暴力は外部の現象である前に、心の内部で培われる態度なのである。

現代社会においても、この洞察は深い意義を持つ。言葉の暴力や無視、差別的態度は、戦争と同じく人間関係や社会に分裂をもたらす。クリシュナムルティの言葉は、暴力の subtleness(微妙さ)と深さを理解し、日常の中でそれを見抜くことが真の平和への出発点であると教えている。

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