「私は徳を持っていない。しかし、十分な血を流せば、私たちの息子たちは徳を持つ権利を手に入れるだろう」
- 1905年6月21日~1980年4月15日
- フランス出身
- 哲学者、小説家、劇作家
- 実存主義を提唱し、『存在と無』や『嘔吐』を通じて20世紀思想に大きな影響を与えた
英文
“I am not virtuous. Our sons will be if we shed enough blood to give them the right to be.”
日本語訳
「私は徳を持っていない。しかし、十分な血を流せば、私たちの息子たちは徳を持つ権利を手に入れるだろう」
解説
この名言は、サルトルが徳と犠牲の関係について述べたものである。彼は、自分自身が徳を備えた存在ではないと認めながらも、後の世代が徳を持ち、平和な生活を享受するためには、今の世代が犠牲を払わなければならないと考えている。この言葉には、現代の不正や闘争が、未来世代のためにより良い社会を築くための礎として役立つかもしれないという信念が込められている。サルトルは、現在の苦闘と犠牲が未来への希望に繋がることを示唆している。
また、この言葉は、自己犠牲と次世代への責任を強調している。現在の世代が苦しみや不正に立ち向かい、血を流してでも正義や自由を確立することで、次の世代が平和と徳を享受できる土壌が整うという考え方である。サルトルは、徳を持つための「権利」は単に与えられるものではなく、前の世代の犠牲の上に築かれるものであり、未来に対する責任と希望が重要であると考えている。
さらに、この名言は、歴史の連続性と進歩に対するサルトルの見解を反映している。彼は、未来がより良いものとなるためには、現在の困難に立ち向かう努力が必要であると考え、次の世代が徳を持って生きるためには、現在の世代が自己犠牲を払う覚悟が不可欠であると主張している。サルトルの言葉は、自分たちの行動が未来に影響を与えるという意識を持ち、世代を超えた人類の進歩と発展に貢献する価値を見出すよう促している。
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