「真の信者は不寛容でも迫害者でもあり得ない。もし私が判事で、無神論者に死刑を科す法律があるとしたら、まず最初に他者を告発した者を火刑に処するだろう。」
- 1712年6月28日~1778年7月2日
- ジュネーヴ出身
- 哲学者、政治哲学者、作家、作曲家
- 『社会契約論』で人民主権を提唱し、フランス革命や近代民主主義に影響を与えた
英文
“No true believer could be intolerant or a persecutor. If I were a magistrate and the law carried the death penalty against atheists, I would begin by sending to the stake whoever denounced another.”
日本語訳
「真の信者は不寛容でも迫害者でもあり得ない。もし私が判事で、無神論者に死刑を科す法律があるとしたら、まず最初に他者を告発した者を火刑に処するだろう。」
解説
この言葉は、真の信仰と寛容さ、そして迫害に対する批判についてのルソーの見解を表している。ルソーは、真に信仰深い者は他者を不寛容に扱ったり迫害したりすることはなく、寛容と愛によって他者を受け入れると信じている。信仰を持つ者が他者の信念を批判し、罰を求めることは、その信仰の本質から逸脱した行為であると述べている。また、無神論者を処罰しようとする者こそ、真の信仰を理解していないと見なしている。
現代でも、信仰が原因での不寛容や迫害が批判される場面は多い。ルソーのこの言葉は、信仰とは他者を排除するものではなく、寛容と共感を持って向き合うものであるべきだというメッセージを伝えている。真の信者であれば、他者を罰するためではなく、むしろ受け入れるために信仰を持つという、深い人間愛が表されている。
さらに、この名言は、信仰の道徳的な純粋さと、権力による迫害の問題についても触れている。信仰が人を裁く手段として利用されるとき、その信仰は本来の役割を果たせなくなる。この言葉は、他者を攻撃や告発の対象とするのではなく、信仰が人々を結びつけ、共存を促すためのものであることの重要性を強調している。
感想はコメント欄へ
この名言に触れて、あなたの感想や名言に関する話などを是非コメント欄に書いてみませんか?