「業病のALSに侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性が尊厳死を願って相談した二人の医師が薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された。武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ。裁判の折り私は是非とも医師たちの弁護人として法廷に立ちたい」

- 1932年9月30日~2022年2月1日(89歳没)
- 日本出身
- 第14~17代東京都知事、作家、政治家
原文
「業病のALSに侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性が尊厳死を願って相談した二人の医師が薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された。武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ。裁判の折り私は是非とも医師たちの弁護人として法廷に立ちたい」
解説
この言葉は、石原慎太郎が尊厳死の是非と法制度の硬直性について述べた発言である。彼は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という治療法のない難病で身動きもできない女性が尊厳死を望み、その意思に応えて医師が薬を提供した行為が「殺人」として起訴されたことを強く批判している。特に、苦しむ者を安らかに死なせる行為を「介錯」にたとえ、その文化的価値を理解しない検察を愚かだと断じている。
この発言の背景には、日本における尊厳死や安楽死の法的整備の遅れがある。多くの国では条件付きで安楽死や医師幇助自殺が合法化されている一方、日本では刑法の殺人罪や自殺関与罪が優先され、本人の意思や苦痛の程度よりも形式的な違法性が重視される傾向がある。石原は、これを文化的背景と人間の尊厳に即した柔軟な判断の欠如とみなし、法廷で医師を擁護する意志まで表明している。
現代への応用として、この言葉は生命倫理と法の関係を考える上で重要である。医療の進歩により延命が可能になった一方で、本人の意思をどう尊重するかは未解決の課題であり、法と倫理の調整が求められる。石原の発言は、尊厳死をめぐる議論において、文化的価値観や人間的情理を無視した法律運用への警鐘として読むことができる。
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