「自らの不道徳を恥じること、それは階段の一歩に過ぎない。その階段を登り切った先には、自らの道徳もまた恥じるようになる」
- 1844年10月15日~1900年8月25日
- ドイツ出身
- 思想家、哲学者、詩人、古典文献学者
- 『ツァラトゥストラはこう語った』『善悪の彼岸』『道徳の系譜』などの著作で、従来の道徳や宗教、真理に疑問を投げかけ、現代哲学に多大な影響を与えた
英文
”To be ashamed of one’s immorality: that is a step on the staircase at whose end one is also ashamed of one’s morality.”
日本語訳
「自らの不道徳を恥じること、それは階段の一歩に過ぎない。その階段を登り切った先には、自らの道徳もまた恥じるようになる」
解説
ニーチェは、この言葉で道徳と不道徳の相対性や、自己反省の進化についての洞察を示している。道徳を遵守すること、あるいは不道徳を恥じることは、表面的には望ましいとされるが、ニーチェはそれだけでは「真の自己理解」に至らないと考える。道徳の階段を登り続けると、最後には自分が恥じた不道徳だけでなく、現在の道徳観さえも相対化し、別の視点から「恥ずかしい」と感じるようになる。その結果、善悪の基準が単なる社会的な枠組みに過ぎないことを理解し、絶対的な道徳観や価値観の虚構性に気づくのだ。
この考えは、現代の道徳的な価値観や倫理観にも深い示唆を与えている。たとえば、ある行動が「道徳的」であるとされても、別の文化や異なる時代においては、それが批判されることもある。これにより、道徳観が固定的なものでなく、相対的で変化しうるものであることが明らかになる。ニーチェは、人間が本当の意味で道徳と不道徳を超えて自己を理解し、行動するには、既成の価値観や道徳観を相対化し、超越する必要があると考えている。
ニーチェのこの言葉は、固定された道徳観を超えて、より深い自己理解と価値観の再評価に導く道を示している。人間は、自分の道徳的・不道徳的な行為を見直し、さらにその背後にある価値観や基準を問い直すことで、より豊かな理解に至る。ニーチェは、道徳や不道徳に対する「恥じらい」を超えたところに、真の自由と自己理解があることを示唆している。
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