「美しいものは何もない、ただ人間だけが美しい。この素朴な発想に、すべての美学が基づいている。これは美学の第一の真理である。続いて第二の真理を加えよう。醜いものは何もなく、ただ堕落した人間だけが醜いのだ——ここに美的判断の領域が定義される」
![フリードリヒ・ニーチェ](https://note.lv73.net/wp-content/uploads/2024/11/Nietzsche187a-512.webp)
- 1844年10月15日~1900年8月25日
- ドイツ出身
- 思想家、哲学者、詩人、古典文献学者
- 『ツァラトゥストラはこう語った』『善悪の彼岸』『道徳の系譜』などの著作で、従来の道徳や宗教、真理に疑問を投げかけ、現代哲学に多大な影響を与えた
英文
”Nothing is beautiful, only man: on this piece of naivete rests all aesthetics, it is the first truth of aesthetics. Let us immediately add its second: nothing is ugly but degenerate man – the domain of aesthetic judgment is therewith defined.”
日本語訳
「美しいものは何もない、ただ人間だけが美しい。この素朴な発想に、すべての美学が基づいている。これは美学の第一の真理である。続いて第二の真理を加えよう。醜いものは何もなく、ただ堕落した人間だけが醜いのだ——ここに美的判断の領域が定義される」
解説
ニーチェは、美と醜の判断基準として「人間」そのものを中心に置き、人間のあり方が美学の根幹を成すと考えている。彼はまず、「美しいものは人間だけ」と述べ、美が人間の存在と結びついていることを指摘する。この「素朴な発想」とは、自然や外部の物事に美を見出すのではなく、人間そのもの、あるいは人間が感じる美意識がすべての美の基準であるという思想を示している。そして、ニーチェは「醜いもの」についても、人間の堕落や自己喪失、あるいは本来の理想的な人間性から離れた状態が「醜さ」とされるべきと考えている。
この視点は、美的判断の主体が人間であり、美と醜の基準も人間の存在や価値に基づくものであるとする人間中心的な美学の立場を反映している。たとえば、ある行動や生き方が「美しい」とされるか「醜い」とされるかは、社会や文化、道徳観の中での理想的な人間像に従って決まることが多い。ニーチェは、美学が単に視覚的な美醜の問題ではなく、人間の内面や存在の在り方、そしてその道徳的・精神的な価値にも密接に結びついていることを示唆している。
ニーチェのこの言葉は、美的な評価が単なる外見ではなく、内面や人間性そのものに依存することを教えている。私たちは、美と醜を判断する際に、人間の本質やあり方に目を向けるべきであり、堕落した状態が醜さをもたらすと捉えることで、美の基準を深く理解することができる。ニーチェは、人間の美しさと醜さがその精神や存在に由来することを強調し、美的判断の根幹にある人間性を探求するよう促している。
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