「あるとき私は父に付き添ってピナレス・デ・マヤリへ行った。私が八歳か九歳の頃だった。ビランの家を出るとき、父は本当に楽しそうに話していた。あそこでは彼がサトウキビや牧草、その他の農作物を植えた土地の所有者だった」

- 1926年8月13日~2016年11月25日
- キューバ出身
- 革命家、政治家、弁護士
英文
“On one occasion, I accompanied my father to Pinares de Mayari. I was eight or nine years old. How he enjoyed talking when he left the house in Biran! There he was the proprietor of the land where sugar cane, pasture, and other agricultural crops were planted.”
日本語訳
「あるとき私は父に付き添ってピナレス・デ・マヤリへ行った。私が八歳か九歳の頃だった。ビランの家を出るとき、父は本当に楽しそうに話していた。あそこでは彼がサトウキビや牧草、その他の農作物を植えた土地の所有者だった」
解説
この言葉は、フィデル・カストロ自身の幼少期の記憶を語ったものであり、彼の思想形成の背景を知るうえで貴重な証言である。カストロの父は裕福な移民地主であり、カストロは特権的な立場から社会を観察する立場にあった。ここで描かれる父の姿――土地を所有し、農業を通じて生計を立てる男としての誇り――は、カストロが後に土地改革と階級闘争に踏み出す契機ともなった対照的な出発点である。
このエピソードからは、地主階級の生活の一端と、それを自然なものとして受け入れていた子ども時代の視点が伝わってくる。しかし同時に、それが後に政治的覚醒へと転じたことを考えると、カストロの中にあった階級的矛盾への意識の芽生えも示唆される。父の誇りある姿と、それを支える社会構造に対する疑問が、革命思想の内的動機となった可能性が高い。
現代においても、個人の出自や家庭環境がどのようにして政治的意識を形作るかというテーマは、広く理解されるべき問題である。この回想は、階級や土地所有が子どもの視点にどのように映るのか、そしてそれが後の思想にどう影響するかを考えさせる証言として価値がある。
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