「個人、あるいは異端者が何らかの本質的な真理をつかんだり、実践されている体制の誤りを見抜いたとしても、彼自身が数多くの些末な誤りを犯すために、その主張を確立する前に疲弊してしまう」

- 1885年10月30日~1972年11月1日(87歳没)
- アメリカ合衆国出身
- 詩人、批評家、翻訳家
英文
“If the individual, or heretic, gets hold of some essential truth, or sees some error in the system being practiced, he commits so many marginal errors himself that he is worn out before he can establish his point.”
日本語訳
「個人、あるいは異端者が何らかの本質的な真理をつかんだり、実践されている体制の誤りを見抜いたとしても、彼自身が数多くの些末な誤りを犯すために、その主張を確立する前に疲弊してしまう」
解説
この言葉は、真理を発見した者や体制に異議を唱える者の困難を描いている。彼らは重要な点で正しい洞察を持ちながらも、その主張を支える過程で小さな誤りを重ねることで信用を失い、真意にたどり着く前に力尽きてしまうのである。ここには、革新や異議申し立てに伴う孤独と消耗が示されている。
エズラ・パウンド自身も、文学や社会批評において異端者的立場を貫いた人物であった。彼は既存の文学形式や文化体制を批判し、新しい運動を推進したが、その過程で極端な発言や誤った政治的選択をしたこともあった。したがって、この言葉は自身の経験を反映した警句とも考えられる。真理を握りながらも周辺的な過ちにより理解されにくいという苦悩を言い表しているのである。
現代に応用すれば、この言葉は改革者や批判者が直面する現実を説明する。たとえば新しい理論や技術を提唱する人物は、大枠では正しくても実験や証明の細部で誤りを指摘され、主張が広く認められるまでに疲弊することがある。パウンドの警句は、真理の発見そのものよりも、それを社会に定着させる過程の困難さを鋭く示しているのである。
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