「私は批評を単なる予備的な刺激、すなわち作家がいずれ自らの頭の中で整理しなければならない事柄の表明にすぎないと考える。おそらく執筆に先立つものであり、後に創作として結実しない限り価値はない」

エズラ・パウンド(画像はイメージです)
  • 1885年10月30日~1972年11月1日(87歳没)
  • アメリカ合衆国出身
  • 詩人、批評家、翻訳家

英文

“I consider criticism merely a preliminary excitement, a statement of things a writer has to clear up in his own head sometime or other, probably antecedent to writing; of no value unless it come to fruit in the created work later.”

日本語訳

「私は批評を単なる予備的な刺激、すなわち作家がいずれ自らの頭の中で整理しなければならない事柄の表明にすぎないと考える。おそらく執筆に先立つものであり、後に創作として結実しない限り価値はない」

解説

この言葉は、批評の位置づけを創作の補助的段階として捉えるパウンドの見解を示している。批評は一時的に刺激を与える役割を果たすが、それ自体が目的ではなく、創作に昇華されて初めて意味を持つとされる。つまり、批評は独立した成果物ではなく、芸術を生み出すための思考整理に過ぎないという強い主張である。

この発言の背景には、パウンドが単なる批評家ではなく、詩人・創作者として生きた人物であることがある。彼は文学批評を活発に行いながらも、それを理論として閉じるのではなく、必ず詩作や文学運動に反映させた。イマジズムやヴォルシズムといった文学運動においても、批評は創作の土台にとどまり、最終的には芸術作品という形で実を結ぶことが重視された。

現代に応用すると、この言葉は単なる評論や感想に終わるのではなく、実際の創作や行動につなげる姿勢の重要性を指摘しているといえる。例えば、芸術批評や研究、企画の段階で議論を重ねても、それが作品や実務に結実しなければ意味は薄い。パウンドの言葉は、批評や思考が最終的に具体的な成果を生み出すことこそ真の価値であると強調しているのである。

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