「侘びしさというものは、幸福感の一種なのかも知れない」

- 1909年6月19日~1948年6月13日(38歳没)
- 日本出身
- 小説家
原文
「侘びしさというものは、幸福感の一種なのかも知れない」
解説
この言葉は、太宰治が侘びしさと幸福感の奇妙な近さを指摘したものである。侘びしさは一般に孤独や欠落を意味するが、太宰はそれを単なる不幸ではなく、心を満たす静かな感覚として幸福に近いものと捉えている。つまり、侘びしさには人を豊かにする情緒的な作用があるという逆説的な見解である。
昭和初期の社会においては、経済的困窮や戦争の影が人々を覆っていた。その中で太宰は、悲しみや孤独を否定せず、むしろそこに人間存在の深さや生の実感を見出そうとした。彼の文学には、孤独の中で得られる一瞬の安らぎや、寂しさの中に潜む美しさが繰り返し描かれており、この言葉もその延長線上に位置づけられる。
現代においても、この言葉は普遍的な真理を持つ。物質的に満たされても心が空虚に感じる一方で、静かな侘びしさの中に「満ち足りた幸福感」を見出す瞬間がある。例えば、夕暮れの静けさや一人で過ごす時間に感じる安堵がそれに近い。太宰のこの言葉は、侘びしさを恐れるのではなく、人間の幸福の一形態として受け入れる感性の大切さを示しているのである。
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