「キリスト教は最初に奇跡を伴っていたばかりか、今日においても理性的な人がそれを信じるには奇跡が必要である」

デイヴィッド・ヒューム(画像はイメージです)
デイヴィッド・ヒューム(画像はイメージです)
  • 1711年5月7日~1776年8月25日(65歳没)
  • スコットランド出身
  • 哲学者、歴史家、経済学者、「経験論と懐疑主義の代表的思想家」

英文

”The Christian religion not only was at first attended with miracles, but even at this day cannot be believed by any reasonable person without one.”

日本語訳

「キリスト教は最初に奇跡を伴っていたばかりか、今日においても理性的な人がそれを信じるには奇跡が必要である」

解説

この言葉は、ヒュームの宗教批判と懐疑主義を象徴するものである。彼は『自然宗教に関する対話』や「奇跡について」において、奇跡の証明は経験や理性に基づく証拠よりも常に劣ると論じた。ここでの発言は、キリスト教信仰は理性のみに基づいては成り立たず、奇跡という非合理的な要素を前提にしているという鋭い指摘である。

18世紀の啓蒙時代は、理性と経験を重んじ、宗教的権威への批判が盛んであった。ヒュームは信仰の社会的役割を一定程度認めつつも、理性の立場からはその正当性を疑問視した。特にキリスト教の奇跡伝承は、人間の証言の不確かさと合理的懐疑を前にすれば到底信頼できないと結論づけている。

現代においても、この言葉は議論を呼ぶ。信仰を持つ者にとっては挑発的に響くが、科学的合理主義の立場からすれば、超自然的な出来事がなければ宗教を理性的に受け入れることは難しいとする見方は今も有効である。したがってこの言葉は、信仰と理性の緊張関係を端的に表した啓蒙思想の一断片として理解されるのである。

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