「ある証言が奇跡を立証するには、その虚偽性が、証言が示そうとする奇跡そのもの以上に奇跡的である場合に限られる」

デイヴィッド・ヒューム(画像はイメージです)
デイヴィッド・ヒューム(画像はイメージです)
  • 1711年5月7日~1776年8月25日(65歳没)
  • スコットランド出身
  • 哲学者、歴史家、経済学者、「経験論と懐疑主義の代表的思想家」

英文

”No testimony is sufficient to establish a miracle, unless the testimony be of such a kind, that its falsehood would be more miraculous than the fact which it endeavors to establish.”

日本語訳

「ある証言が奇跡を立証するには、その虚偽性が、証言が示そうとする奇跡そのもの以上に奇跡的である場合に限られる」

解説

この言葉は、ヒュームの奇跡に関する懐疑論の核心を示している。彼は「奇跡について」において、奇跡の証明は経験則に反するため、証言がどれほど強くても容易には信用できないと論じた。ここで述べられているのは、証言の虚偽を疑うことよりも奇跡そのものを信じる方が合理的である場合にのみ、奇跡は成立し得るという基準である。

18世紀の啓蒙思想の文脈において、宗教的権威や聖書の奇跡物語は理性による批判の対象となっていた。ヒュームは、人間の証言が錯誤や虚偽に満ちている以上、奇跡の証明としては決定的に不十分だと考えた。この立場は、宗教的信仰を理性によって正当化しようとする試みに大きな挑戦を与えた。

現代においても、この洞察は科学的懐疑の姿勢に通じる。非日常的な主張や超自然的現象の報告に対しては、まずそれを支える証拠の信頼性を吟味すべきである。したがってこの言葉は、証言や証拠を無批判に受け入れず、常識や経験則に照らして比較衡量することの重要性を教えているのである。

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