蔣介石

- 1887年10月31日~1975年4月5日(87歳没)
- 中国(清国)出身
- 軍人、政治家、中華民国総統
人物像と評価
蔣介石は、中国国民党の指導者として清末から中華民国期、さらに台湾時代にかけて長く影響力を持った政治家・軍人である。
孫文の後継者として国民革命軍を率い、1927年の北伐によって中国の統一を果たし、南京国民政府を樹立した。
以後、共産党との内戦や日本との戦争に対応しながら政権を維持した。
1930年代から1940年代にかけては抗日戦争(第二次世界大戦)における連合国の一員として活躍し、カイロ会談などでは国際的にも存在感を示した。
一方で、内戦では毛沢東率いる中国共産党に敗れ、1949年に中華民国政府を台湾に移した。
その後、台湾では強権的な体制を築きつつも、経済成長と社会安定を達成した指導者とされる。
しかし、独裁的統治や民主化の遅れ、台湾原住民・本省人との緊張などへの批判も根強く、その評価は分かれる。
だが、冷戦下での反共主義の象徴、そして台湾の現代化に向けた基盤を築いた人物として、その歴史的意義は大きい。
名言
- 「私の父が亡くなったのは私が9歳のときであった。当時の家族の悲惨な状況は筆舌に尽くしがたい。孤立し影響力もなかった私の家族は、たちまち多くの侮辱と虐待の的となった」
- 「戦う国家だけが世界平和に責任を持つことができ、そのような国家は物的資源と人材を可能な限り最高度に組織しなければならない」
- 「少年のころ、『自由の鐘』や『独立記念館』という言葉そのものが私の想像力をかき立て、深く永続的な印象を心に刻んだ。中国の国家的自由を確保するために闘ってきた私の歩みの中で、彼女が独立した民主国家としての完全な姿を示す日を夢見続けてきた」
- 「対外的には中国は独立を望み、対内的には国家としての存続を求めている。ゆえに中国は人民を束縛する鎖を断ち切り、新しい国家の建設を完成させようと努めている」
- 「敵が中国を侮ることは敵の弱点である。この弱点を知ることが我々の強みである」
- 「戦争の最終的な結果は、しばしば双方が示す主導性の程度によって決定される」
- 「我らの亡き指導者孫文は、あらゆる被圧迫者への普遍的な同情と、イエスの愛と犠牲の革命的精神への深い理解をもって、四十年にわたり革命運動を続け、ついに中国人民の解放をもたらした」
- 「中国は自らの独立のためだけでなく、あらゆる被圧迫民族の解放のために戦っている。我々にとって、大西洋憲章とルーズベルト大統領がすべての人々に掲げた四つの自由の宣言は、戦いの信念の礎である」
- 「我々は人民に中国の歴史文化の偉大さを教えなければならない。教育課程においては中国の歴史と地理を重視し、すべての人々が五千年の文明と我らの古代民族の広大な領域を理解し、評価できるようにしなければならない。これによって我々自身の未来への信頼がより強まるであろう」
- 「世界的兄弟愛の理念は、中国思想の普遍的性格に本来備わっているものであり、それは孫文の支配的な概念であった。そして歴史の出来事は、彼が空想家ではなく、世界における最大の現実主義者の一人であったことを繰り返し証明してきた」
- 「愛国心は我々に持続的な犠牲を要求する」
- 「何世紀もの間、中国社会には先進的な民主国家にさえ見られるような階級の区別は存在しなかった」
- 「私は孫文を盲目的に追随するからではなく、彼が誰からも深い尊敬を呼び起こす人物であるがゆえに、全面的な信頼を寄せている。中国において、これほど広い国際的視野を持ち、その思想がかくも建設的で、自らの使命にこれほど深い信念と確信を持つ人物を私は他に知らない」
- 「すべての人間活動には三つの本質的要素がある。精神、物資、そして行動である」
- 「地主やあらゆる種類の有力者、特に政治評議会の議員は、民衆に模範を示さなければならない。裕福な家庭の若者は自ら進んで兵役に就くべきである。二人息子がいるなら一人、少なくとも三人息子がいるなら一人は兵役に就く用意をしなければならない」
- 「私は中国の青年に強い希望を抱いているがゆえに、彼らの将来の成功や失敗に対する自らの責任を痛切に感じている。中国の運命は彼らの手にかかっている。抗戦と復興の任務を担うにふさわしい中国の市民となるように、彼らを組織し訓練する責任は私にあり、それを回避することはできない」
- 「中華民国の国父孫文は、その革命的指導において、中国が世界の諸国の間で自由と平等の地位を確保することを大きな目標とした」
- 「最近の太平洋におけるアメリカの行動、すなわち東京への爆撃、珊瑚海やミッドウェー島沖、そしてダッチハーバーでの戦闘は、アメリカが太平洋における至上の重要な責務を果たし始めている十分な証拠である」
- 「9歳から25歳までの17年間、私の母は一日たりとも家庭の困難から解放されることがなかった」
- 「ロシア革命に対する私の印象は二つの時期に分けられる。第一の時期には深い同情を示した。第二の時期は失望の時期であった。この変化は現地での綿密な観察の結果である」
- 「日本は背後にアメリカ、右にソビエト・ロシア、左にイギリスという状況下で中国を征服することはできない。南洋における最強の敵が三方から包囲していること、まさにこの国際情勢こそが日本の大きな弱点の一つなのである」
- 「革命の目的は、中国自身の利益に関して言えばその本来の国境の回復であり、世界に関して言えば、すべての国々が平等の段階から理想的統一の段階へと徐々に進むことである」
- 「私は常に部下に、彼らがいかなる過ちを犯したとしても、その責任は上官にあると伝えてきた」
- 「もし帝国主義がこの国から追放されなければ、中国は民族として滅びるであろう。もし中国が滅びないのであれば、帝国主義は存続できない」
- 「我々は自らの行いによってそのような存在になる」
- 「中国の人民に完全な自治を与えるためには、まずすべての人々の生計問題を解決し、中国国内の諸民族に真の自由を与えなければならない。民主主義の基盤が確固たるものであれば、真の平等が達成されるであろう」
- 「1917年のロシア革命の初期において、私はそれに完全に共感していた。それが近代世界史における新しい時代を切り開いたと感じたのである。私はその影響に圧倒され、人々が否定的なことを言えば力強く擁護し、共産党を非難する者がいればその弁護をした」
- 「現代戦争は単なる軍事行動にとどまるものではないことを、諸君は皆承知していなければならない。それは国家の全力とすべての資源を巻き込むものである。兵士だけでなく、例外なくすべての国民が参加するのである」
- 「祈りは瞑想以上のものである。瞑想において力の源は自分自身にある。祈るとき、人は自らを超えたより大きな力の源に向かうのである」
- 「古代中国においては、共同体生活においても個人生活においても自治は高度に発達していた。相互保護と扶助の慣習は広く行き渡っていた。地方自治の組織と規則は明確に定められ、厳格に適用されていた。個人の自律はさらに強く重視されていた」
- 「現代世界とは、あらゆる国家がその国民の能力を発揮させて国力を育成しなければならない世界である。個人の独立した地位やその思想と行動は過去のものとなる」
- 「戦時における政府の食糧調達は、徴兵と同じくらい重要である。公平こそが、これら戦時行政の不可欠な両面に適用される基本原則である」
- 「私の健康は白鳩で作ったスープのおかげである。それは実に滋養強壮にすばらしい効き目がある」
- 「我々中国人は本能的に民主的であり、孫文の普選の目標はすべての中国人から即座でためらいのない反応を引き起こす」
- 「現代戦争は決して単なる軍事行動にとどまるものではない。経済問題もまた、それと並んで最も重要な要因の一つに位置づけられる」
- 「中国は五千年の歴史、広大な領土、そして莫大な人口をもって、世界の諸国の中にあって山岳の峰のごとくそびえ立っている。人類文明へのその貢献は不滅である。中国は熱烈な平和の愛好者であり、国際正義を深く尊重してきた」
- 「私はぜひアメリカに行きたい。その偉大な国の産業的・経済的発展について多くを聞いており、自らの目で確かめたいと願っている」
- 「民主主義とは自由である――それは他者の自由を侵害せず、他者の権利を侵さない自由であり、厳格な規律を保持し、法律をその保証と行使の基盤とする自由である。これこそが真の自由であり、これこそが真の民主主義を生み出す」
- 「私はしばしば言ってきた、中国は物質的資源に欠けてはいない。問題は、それらを十分かつ有効に活用できるかどうかである」
- 「上海の興亡は国家全体の生死を意味する」
- 「中国革命の兵士としての長きにわたる闘いは、厳しい現実に直面する必要を私に悟らせた。我々が偉大な国であれ小さな国であれ、すべての人々に対して政治的・社会的・経済的正義を誠実に目指さない限り、我々の誰にとっても平和も希望も未来も存在しない」
- 「戦争は装備、大砲、部隊や空軍といったものだけの問題ではない。それは大部分が精神、すなわち士気の問題である」
- 「中国はアジア諸国の中で最大かつ最も古い国である。しかし、我々がその『指導的地位』を誇らしげに語るべきではない」
- 「中国は、西洋の帝国主義をアジアにおいて自らの、あるいは他者の東洋的帝国主義や孤立主義で置き換える意図を持っていない」