孫文

孫文(画像はイメージです)
孫文(画像はイメージです)
  • 1866年11月12日~1925年3月12日(58歳没)
  • 中国(清国)出身
  • 革命家、政治家、中華民国臨時大総統

人物像と評価

孫文は、清朝を倒し中華民国を樹立した中国近代革命の父と称される政治家・思想家である。

西洋の民主主義思想を取り入れ、「三民主義(民族・民権・民生)」を提唱し、中国の近代国家形成に向けた理念的枠組みを築いた。

彼は1905年に中国同盟会を結成し、1911年の辛亥革命において清朝打倒を成功させた。

臨時大総統として中華民国の建国を宣言し、形式的ながらアジア初の共和制国家を誕生させた功績は大きい。

また、日本を含む海外での支援獲得にも尽力し、国際的な革命家として活動した。

一方で、国内では軍閥の台頭や政局の不安定さにより実権を長く保つことはできず、理念と現実の乖離が批判されることもある。

しかし、その志と理想は後の国民党・共産党の両者からも継承されており、中国近代化の象徴的存在であることに疑いはない。

名言

  1. 「世界を平和で幸福なものにするには、まず国がよく治められなければならない、という言葉は真実である」
  2. 「私の国際開発計画においては、この産業発展によって得られる利益は、まずそれに投資された外国資本の元利を返済することに、次に労働者に高賃金を支払うことに、そして最後に生産機械の改善または拡張に充てるべきであると提案する」
  3. 「我々は古くからの道徳的価値観と平和を愛する心を国家再建の礎とし、国際的な正義と善意に基づく世界再建の指導者となる日を待ち望むべきである」
  4. 「我々はマルクス主義の思想から学ぶことはできるが、その方法を採用することはできない」
  5. 「中国は二千年以上も前にすでに民主主義の概念を考慮していたが、当時はそれを実行に移すことができなかった」
  6. 「香港から逃れて神戸に至ったとき、私は重大な決断を下した。生涯伸ばしていた辮髪を切り落としたのである」
  7. 「民衆の福祉を推進しようと望む者は、民衆と連帯して前進し、彼らに最も適した道を選ばねばならない。我々の歴史は西洋諸国の歴史とは異なるゆえに、両者が進むべき歩みもまた異ならなければならない」
  8. 「中国人民の大多数に人権を発展させるにはどうすればよいのか。その唯一の方法は組織化である。労働者、農民、商人、実業家、学生を草の根のレベルで組織することである」
  9. 「私は香港でイギリスの医学試験に合格した……若い頃、海外で学ぶ機会を得た。西洋の言語、文学、政治学、風俗、数学、地理、物理学や化学——これらすべてを学ぶ機会があった」
  10. 「我々の若者たちは常に西洋の教えるあらゆることを学ぼうとしているが、西洋で最も新しいものは、中国には何千年も前から存在していた」
  11. 「古代においては、農業も工業も完全に人力に依存していた。しかし今では、人力では及ばない自然の力の発展により、農業も工業も完全に資本家の手中に落ちた。資本が多ければ多いほど、利用できる資源も豊富になる」
  12. 「我々は今や民主主義を活用する方法を知っており、人々の政府に対する態度を変える術も心得ている。しかし、大多数の民衆はいまだに展望を持たない。もし我々が西洋民主主義の混乱から脱し、その後を盲目的に追わずに済ませたいのであれば、先見の明ある者が彼らを導き、正しい道へと導かねばならない」
  13. 「政府は、国の内部にある弱小な民族集団を自主と自治へと導き助けるべきである。同時に、対外的侵略には抗し、諸外国との条約を改正して、国際社会における我々の平等と独立を回復すべきである」
  14. 「我々は世界で最も貧しく、最も弱い国家であり、国際社会において最も低い地位にある。他の諸国は包丁であり皿であるが、我々は切られる魚であり、食われる肉である」
  15. 「革命家たちは落胆し、精神的にも崩壊寸前であった。失敗の後、彼らは次々と去っていった」
  16. 「民族主義とは、異なる民族の人々を差別することを意味するのではない。我々がそうした人々に政治権力を奪われることを許さないということであり、漢民族が政治的に主導権を握ってはじめて国家が成り立つのだ」
  17. 「文明国家が一つの政党しか持たないということはあり得ない。一党しか存在しなければ、それは単なる独裁にすぎず、政治は前進しない」
  18. 「資本家という少数者だけが豊かな生活を享受し、大多数の労働者が苦しみに耐えているような状況では、両者が平和と調和のうちに共存することは当然ながら不可能である」
  19. 「二千年前に我々は帝国主義と軍国主義を捨て、それ以来ずっと平和を愛する民であり続けてきた」
  20. 「中国の労働者と外国の労働者の違いは、後者が自国の資本家からしか搾取されていないのに対し、前者は他国の資本家からも搾取されているという点にある」
  21. 「私は痛感している。ヨーロッパ諸国の富と強さは、彼らが軍艦や強力な大砲、堅固な要塞や精鋭な兵士を有しているからだけでなく、国民がその才能を十分に発揮し、土地が有効に活用され、天然資源が最大限に開発され、物資が自由に流通しているからでもある」
  22. 「汎アジア主義が解決しようとする問題とは何か。それは、アジア諸民族の苦難を終わらせ、強大なヨーロッパ諸国の侵略に抵抗することである。要するに、汎アジア主義とは抑圧されたアジア諸民族の大義を体現するものである」
  23. 「モスクワのように、私は中国共和国の礎を将来の労働者である若い世代の心の奥深くに築きたいと願っている」
  24. 「我々が帝政を打倒しようとするのは、それが満州族のものであるからではなく、共和主義を求めるからである……我々共和革命派は、過去の農民反乱のように、革命後に自らが皇帝になろうなどという発想を決して持たない」
  25. 「戦争の最中、イギリスとフランスは十四か条の原則に全面的に同意していた。しかし戦争に勝利すると、イギリス、フランス、イタリアは自らの帝国主義政策と相反するという理由でウィルソンの構想を妨げようとした。その結果、講和条約は歴史上もっとも不平等な条約の一つとなった」
  26. 「国家が発展を図るために、また民族が生き残りをかけて用いる宝、それが民族主義というものである。中国はこの宝を失ってしまった」
  27. 「今日の日本は、西洋の“力による支配”の文明に通じながらも、東洋の“道による支配”という文明の特質を保持している。いま問われているのは、日本が“力の支配”を掲げる西洋文明の鷹となるのか、それとも東洋の柱石となるのか、ということである」
  28. 「国家のあらゆるものを人民が共有するようになってはじめて、我々は民生主義の目標、すなわち孔子が夢見た『大同』の境地に真に到達するのである」
  29. 「中国革命の正史が、我々の日本人の友人たちのかけがえのない貢献をより詳しく記録するのを待たねばならない」
  30. 「十三歳のとき、私は母に付き添ってハワイ諸島へ渡った。そこで初めて蒸気船の驚異と広大な海を目の当たりにした。それ以来、私は西洋の知識を得たいと切望し、自然の神秘を解明したいと願うようになった」
  31. 「インドと中国の交流は後漢の時代に始まった。両国は平和的に交わり、学問や思想の交流を行ってきた。互いに敬愛し、称賛し合い、いささかの衝突すらなかった」
  32. 「もし中国が他国と対等の立場に立てば、経済分野で自由に競争し、敗れることなく自力で立つことができる。しかし、外国が経済的野心の盾として政治的権力を用いるやいなや、中国はそれにどう抵抗し、どう競争すべきか分からなくなってしまう」
  33. 「革命とは通常、血を流すものである。だが1911年の我々の革命はそれほど血を流さなかった。なぜなら、我々の民衆は平和を愛する民族だからである。この平和を愛する気質こそが、中国人の最大の美徳である」
  34. 「政府は、国民が政治的知識と能力を身につけられるよう教育と指導を行うべきであり、その結果として、選挙・リコール・発議・国民投票の権限を行使できるようにすべきである」
  35. 「革命の目的は人民の権利を実現することにあるが、その過程においては軍事力を重視せざるを得ない――そしてこの二つは本質的に矛盾している」
  36. 「四十年にわたり、私は人民革命の大義に身を捧げてきた。その唯一の目的は、中国を諸国の中で自由と平等の地位に引き上げることであった」
  37. 「共和国が樹立され、かねてより中国の一部であったモンゴル、チベット、青海、新疆の同胞たちも、今や自国の主人たる中国国民となった」
  38. 「中国の共和政治は、ちょうど学校に通い始めたばかりの子どものようなものである。その子には良き教師と良き友人が必要だ。同様に、共和政治に不慣れな中国人民も、正しく教育されねばならない。革命政府は、人民に高度な意識と経験を授ける教師であるべきなのだ」
  39. 「私は苦力であり、苦力の子である。貧しい者たちの中に生まれ、今もなお貧しい。私の共感は常に、苦しみの中にある大衆とともにある」
  40. 「政治革命は民族革命と同時に進行しなければならない。満州政権を打倒することによって、我々は満州人に対する民族革命だけでなく、君主制に対する政治革命も成し遂げることになる。それらは別々の時期に行うものではない」
  41. 「我々の置かれた状況は極めて危機的である。もし真剣に民族主義を推進し、四億の民を一つに結びつけて強い国家としなければ、我々は国を失い、民族が滅びるという悲劇に直面することになる。この危機を防ぐには、民族主義を掲げ、民族精神をもって国家を救わねばならない」
  42. 「人には才能の広狭があるが、それを役立てることができるのは教育だけである。人材を育成するために設けられた学校は、才能ある者の知性を伸ばし、そうでない者の愚かさを正し、狭い才能を持つ者には専門を、全体的な能力を備えた者には幅広い知識を与える」
  43. 「自然の力によって“王道”のもとに結びつき発展した集団を、我々は“民族”と呼ぶ。一方、人為の力、“覇道”によって結びつき発展した集団を“国家”と呼ぶ。これが、民族(国民)と国家との違いである」
  44. 「欧州大戦の経験から判断するに、帝国主義はいかなる国にも大きな利益をもたらさず、すべての民族に自由を与えることこそが、人類を救う唯一の原理である」
  45. 「将来どのような民族が我が国の一部となろうとも、彼らは漢民族に同化しなければならない。我が党が支持する民族主義は“積極的な民族主義”である。このことを忘れてはならない」
  46. 「中国の民衆には家族と宗族の意識しかなく、国民精神が存在しない。その結果、四億の人々が一つの中国に集まっていながら、実際には我々はただの“散り散りの砂”にすぎない」
  47. 「満州政府の専制支配を打倒し、中華民国を強化し、民衆の生計と福祉を追求することは、人民共通の願いである」
  48. 「個人には過度な自由を許すべきではないが、国家は完全に自由でなければならない。国家が自由を行使できるようになったとき、中国は強大で繁栄した国となるであろう」
  49. 「富と軍事力において大きな成果を挙げているにもかかわらず、ヨーロッパの列強は大多数の民衆に最大の幸福をもたらすことにいまだ成功していないこと、そしてこれらの国々の改革者たちが新たな社会革命のために懸命に努力していることに、私は気づき始めた」
  50. 「国家が自由に行動できるとき、中国は強国と呼ばれるであろう。国家を自由にするためには、我々一人ひとりが自らの自由を犠牲にしなければならない」
  51. 「我々はあらゆる手段を尽くして国を掌握し、流血なき政府を樹立しようと意図している。」
  52. 「貧困のため、我々は資源を開発し富を得るために資本主義的な生産手段を採用しなければならない。しかし、中国の工業化の初期に社会正義の問題を無視すれば、将来の階級闘争の種をまくことになる。」
  53. 「我々は中国人民の無知を過小評価してはならない。数千年にわたる専制は毒のように作用し、その結果、彼らの近代政治に対する理解は黒人奴隷や他の移民よりも劣っている。」
  54. 「我々は統一された中華民国を樹立し、満洲族、蒙古族、チベット族、タタール族、漢族のすべての人民が一つの強大な国家を構成するようにしなければならない。」
  55. 「私はキリスト教徒であり、神は私を人民のために悪と戦わせるために遣わした。イエスは革命家であった、私もまたそうである。」
  56. 「共和国を堅固なものにしたいなら、まずその基盤を築かねばならない。その基盤を海外に求める必要はなく、我々の国民一人ひとりの心の中に求めるべきである。」
  57. 「満洲政府が外国と戦争を行い敗北した後、中国は多くの不平等条約を締結させられた。外国は今なおこれらの条約を用いて中国を縛り、その結果、中国は何を試みても失敗してしまう。」
  58. 「すべての同志は、私の『建国方略』『建国大綱』『三民主義』および本党の第一次全国代表大会で発した『宣言』に従って努力を続け、我々の目標の完成に向けて真剣に奮闘しなければならない。」
  59. 「成功の鍵は行動であり、行動において本質的なものは忍耐である。」
  60. 「ロシア国民としてはドイツ国民と争う理由はなかった。対立はそれぞれの帝国主義政策から生じたものである。ロシア人民が帝国主義は歴史的に誤りであると悟ったとき、1917年に革命を起こして国内の帝国主義を打倒した。そして彼らはドイツと個別に和平交渉を行った。」
  61. 「中国の多くの民族は、中国民族へと転化し、それを高度に文明化された民族とするだけでよい。そうすれば民族統一の過程は完成するのである。」
  62. 「私の考えは、中国において資本主義をして社会主義を生み出させ、この二つの人類進化の経済的力量を未来の文明において並行して働かせることである。」
  63. 「現在、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、日本がいわゆる『五大国』を構成している。ドイツとソビエト・ロシアの台頭を加えても、世界には七大国しか存在しない。中国が強大になれば、国際連盟において容易に第一位の地位を獲得できるであろう。」
  64. 「我々の同胞は皆、モンゴルを失うことが我が国の滅亡を意味することを知っている。ロシアに屈して恥ずかしく滅ぶよりも、ロシアに抗して英雄的に死ぬことを我々は選ぶであろう。」
  65. 「私の宗教について言えば、私はイエスを信奉している。」
  66. 「数十年にわたる無駄な努力にもかかわらず、国家を救おうとする私の壮大な志は少しもくじけていない。私は遅れて生まれ、古代中国の堯や舜といった聖帝の黄金の治世を見ることはできなかった。その代わりに、我が心はタタール奴隷による残酷な搾取の下で苦しむ中国人民を思って悲しみに満ちている。」
  67. 「専制か民主か、どちらが現代中国により適しているのか。我々が中国人民の知性と能力に基づいて判断するならば、人民の主権こそが我々に遥かに適しているという結論に至る。」