本多忠勝の名言・格言・警句

本多忠勝の名言(画像はイメージです)
本多忠勝の名言(画像はイメージです)
  • 1548年3月17日~1610年12月3日
  • 日本出身
  • 戦国武将

人物像と評価

本多忠勝は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将であり、徳川家康の重臣としてその覇業を支えた人物である。

生涯57度の戦場に立ちながら一度も傷を負わなかったと伝えられ、「日本一の兵」と称賛された。

槍術に優れ、「蜻蛉切」と呼ばれる名槍を愛用したことでも知られる。

また、武勇だけでなく忠義にも厚く、家康の信頼を終始裏切ることなく、その勢力拡大に大きく貢献した。

関ヶ原の戦いや大坂の陣でも徳川軍の中核を担い、その戦功により桑名藩10万石を与えられた。

一方で、過剰に美化された逸話や武勇伝には史実性に疑問もあるが、その存在は徳川政権の基盤を支えた象徴的武将であることに変わりない。

忠勝は、武士の理想像を体現した人物として、今なお歴史と武士道の文脈で語り継がれている。

名言

  1. 「いつも褒美がなく罰ばかりあると、家臣の心は逆らい離れていき、やがてその家は傾くものである」
  2. 「とかく、知恵を自慢するほど愚かさの極みにあるものだ」
  3. 「武士はやはり武士らしく、味噌はやはり味噌らしくあってほしいと思う」