「不安を感じることに罪悪感を覚え、それを信仰の欠陥とみなす人もいる。しかし、不安は苦しみであって罪ではない。すべての苦しみと同じように、それをそのように受け止めることができれば、それはキリストの受難における私たちの分け前となる」
画像のクレジット表示:Aronsyne,”Lewis, age 48″,CC BY-SA 4.0,C.S.-Lewis – C. S. Lewis – Simple English Wikipedia, the free encyclopedia
- 1898年11月29日~1963年11月22日
- アイルランド出身
- 作家、学者
- 『ナルニア国物語』シリーズや『キリスト教の詩学』など、多くの著作を通じてファンタジー文学と宗教思想に大きな影響を与えた
英文
“Some people feel guilty about their anxieties and regard them as a defect of faith, but they are afflictions, not sins. Like all afflictions, they are, if we can so take them, our share in the passion of Christ.”
日本語訳
「不安を感じることに罪悪感を覚え、それを信仰の欠陥とみなす人もいる。しかし、不安は苦しみであって罪ではない。すべての苦しみと同じように、それをそのように受け止めることができれば、それはキリストの受難における私たちの分け前となる」
解説
この名言は、不安や心配に対するキリスト教的な視点を示しており、C・S・ルイスが苦しみと信仰の関係を深く考察していることがわかる。彼は、不安を感じること自体が信仰の欠如や罪ではなく、むしろ人間が抱える避けられない苦しみの一部であると主張している。この見解は、人間の弱さに対する神の理解と許しを強調している。
ルイスは、不安を「苦しみ」として捉え、それを罪とは区別している。人間の苦しみがキリストの受難と関連付けられるという視点は、キリスト教における共感と救済のテーマを反映している。つまり、苦しみを通じてキリストの経験に近づき、霊的な成長を遂げる可能性があると考えられている。
現代において、この名言は、精神的な健康と宗教的信仰の交差点において重要な意味を持つ。不安や心配を抱える多くの人々にとって、それが信仰の弱さや道徳的な欠陥ではないと知ることは、自分自身を受け入れ、苦しみを通じて意義を見出す手助けとなるだろう。ルイスの洞察は、苦しみを単なる不幸としてではなく、内面的な成長やキリストとのつながりの機会として捉える普遍的な教訓を提供している。
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