釈迦(ブッダ)の名言・格言・警句50+選
- 紀元前7世紀~紀元前5世紀
- インド人
- 宗教指導者、思想家
- 仏教を創始し、人々に苦しみの原因とその解決方法を示した「四諦」や「八つの道」を教え、内面的な解放と悟りを目指す修行の道を広めた
釈迦の教えには、心の平安と自己を制御することの重要性が強調されている。彼は、真の幸福と解放は外界に求めるものではなく、自己の内にあると説き、心の清浄さが人生の平和や喜びをもたらすとした。さらに、自分の思考が自分の現実を形作ると考え、自分を制することが、他者に勝るよりも偉大な達成であると説いた。また、怒りや憎しみがもたらす苦しみを避けるために、愛と慈悲の心を育むことが人間にとって最も価値ある行いであると教えている。
釈迦はまた、物質的なものに執着することを避け、精神的な清らかさを追求することの重要性を強調した。彼にとって、人は自分自身の道を歩むものであり、他者に依存せず自己の解放を目指すべきであると考えた。釈迦の教えは、自己の内面に向き合い、他者への思いやりと調和を持って生きることが、人生の充実と悟りの道であることを示している。
- 「過去にとらわれず、未来を夢見ることなく、心を今この瞬間に集中しなさい」
- 「1本のろうそくから何千本ものろうそくに火を灯しても、そのろうそくの寿命は縮まない。幸福もまた、分かち合うことで減ることはない」
- 「長く隠し続けることのできないものが三つある。それは、太陽と月と真実である」
- 「千の戦いに勝つよりも、自分に打ち勝つことが最も価値がある。その勝利はあなたのものであり、天使も悪魔も、天国も地獄も奪うことはできない」
- 「健康は最大の贈り物であり、満足は最大の富であり、忠実さは最高の関係である」
- 「私たちを救えるのは自分自身だけであり、誰もそれを代わることはできない。自ら道を歩まなければならない」
- 「良い健康を楽しみ、家族に真の幸福をもたらし、全ての人に平和をもたらすには、まず自らの心を訓練し制御することが必要である。もし人が自分の心を制御できれば、悟りへの道を見出し、あらゆる知恵と徳が自然にその人に備わるだろう」
- 「どのような言葉を発するときも慎重に選ばなければならない。人々はそれを聞き、良きにつけ悪しきにつけ影響を受けるからである」
- 「ろうそくが火なしには燃えないように、人もまた精神的な生活なしには生きられない」
- 「憎しみは憎しみによって止むことはなく、愛によってのみ止むものである。これが永遠の法則である」
- 「統一は二元によってのみ現れる。統一そのものと統一の概念はすでに二つである」
- 「地中から宝が掘り出されるように、徳は善行から現れ、知恵は清らかで平穏な心から生まれる。人の人生という迷路を安全に歩むためには、知恵の光と徳の導きが必要である」
- 「複合されたものすべてに混沌は内在する。精進して歩み続けなさい」
- 「到着するよりも、良い旅路を進む方が良い」
- 「人生における唯一の本当の失敗は、自分が知る最善に忠実でないことである」
- 「健康がなければ、人生は人生とは言えない。それはただの倦怠と苦痛の状態であり、死の姿に過ぎない」
- 「不動の決意を持って八正道を歩む者は、確かに涅槃に至るだろう」
- 「神々を崇拝するよりも、正義の法に従う方が優れている」
- 「恨みの心を抱かない者は、確かに平安を見出す」
- 「私は成し遂げられたことを見ることはない。私が見るのは、まだ成すべきことだけである」
- 「千の空虚な言葉よりも、一つの平和をもたらす言葉の方が価値がある」
- 「議論において怒りを感じた瞬間、私たちは真実を追求するのをやめ、自分のために争い始めている」
- 「価値ある者に施しを行うことは、良い土に良い種を蒔くようなものであり、豊かな実りをもたらす。しかし、欲望に支配された者に施しを与えることは、悪い土に種を蒔くようなものである。施しを受ける者の欲望が、まるで功徳の成長を妨げるかのようである」
- 「水差しは一滴ずつ満たされる」
- 「私はこの世に真理の王として生まれ、世界を救うために存在する」
- 「愚かな者は『自己』の概念を抱く。賢者は『自己』を築くための土台がないことを理解する。それゆえ、彼は世界の本質を正しく理解し、悲しみによって集められたすべての複合体が再び消え去ることを知り、真理だけが残ると結論づける」
- 「50人を愛する者には50の悩みがあり、誰も愛さない者には悩みがない」
- 「賢者は言葉を思慮深く作り、穀物をふるいにかけるように吟味して語る」
- 「美徳はムーサ(芸術と学問の女神)たちのように常に集団で見られる。善い信念が孤立して存在することは決してない」
- 「悪を嫌悪し、心が穏やかであるとき、人は善き教えを聞くことに喜びを見出す。これらの心を持ち、その価値を理解する者は、恐れから解放される」
- 「怒りを抱き続けることは、誰かに投げつけようと熱い石炭を握りしめるようなものであり、結局自分が火傷を負うのだ」
- 「私たちは自分の思考によって形作られ、思考が自分自身となる。心が清らかであれば、喜びは影のように常に寄り添って離れない」
- 「自分以上に愛や慈しみを受けるに値する人を宇宙のどこで探しても見つけることはできない。あなた自身も、宇宙の誰と同じくらい、自分の愛と慈しみを受けるにふさわしい存在である」
- 「あなたは怒りによって罰せられるのであり、怒りのために罰せられるのではない」
- 「平安は内に宿るものであり、外に求めるものではない」
- 「体を健康に保つことは義務である…さもなければ、心を強く清らかに保つことができなくなる」
- 「真理の道において犯し得る誤りは二つだけある。それは、最後まで進まないことと、始めないことである」
- 「私たちは自分の思考によって形作られる。私たちの全ては思考から生まれ、思考によって世界を作り出す」
- 「心が全てである。あなたが考えるものが、あなた自身となる」
- 「人を悪へと誘うのは敵ではなく、その人自身の心である」
- 「自分が受け取ったものを過大評価せず、他者を羨んではならない。他者を羨む者は心の平安を得られない」
- 「私たちは自分が考えるものになる」
- 「賢く生きた者にとって、死さえも恐れるべきものではない」
- 「与える者は真の利益を得る。自己を抑える者は自由になり、欲望の奴隷から解放される。正しき者は悪を捨て、欲望、苦々しさ、そして幻影を根絶することで涅槃に到達する」
- 「清らかで無私の人生を生きるためには、豊かさの中にあっても何も自分のものと考えないことが必要である」
- 「自らの救いは自らの手で成し遂げよ。他人に頼ってはならない」
- 「足が地面を感じるとき、足は自分自身を感じる」
- 「私は地上に現れた最初のブッダではなく、また最後のブッダでもない。いずれ時が来れば、再びこの世にブッダが現れるであろう。聖なる存在であり、究極の悟りを得た者であり、行いにおいて知恵を備え、吉祥であり、宇宙を知る者、人々の無比の導き手であり、天人と人間の師である」
- 「愚か者とは共に生きることはできない。利己的で虚栄心が強く、争い好きで頑固な者と暮らすくらいなら、一人で歩むべきである」
- 「たとえどれほど多くの聖なる言葉を読んでも、どれほど多くの言葉を語っても、それを実行しなければ何の役にも立たない」
- 「世俗の女性は、歩くときも立つときも、座るときも眠るときも、自分の姿や形を誇示することに熱心である。絵として描かれるときさえも、美しさの魅力で人々を惹きつけ、彼らの揺るぎない心を奪おうとする」
- 「怠惰は死への近道であり、勤勉は生きる道である。愚かな者は怠惰であり、賢い者は勤勉である」
- 「美徳は善良な者に愛される以上に、悪しき者に迫害される」
- 「すべての悪行は心に起因する。心が変われば、悪行は残るだろうか」
- 「この世界の中で、それぞれが自分の破片にしがみついている中、男も女も適切な振る舞いとは何であろうか。この洪水の中で人々が互いにすれ違う時、どのような挨拶がふさわしいのか」
- 「私の皮膚も筋も骨も、肉も血もすべて干からびようと構わない!それでも私は喜んでここにとどまる。究極の智慧を得るまで、この場所を動かない」
- 「人がどのように行動しようとも降りかかる運命は信じないが、行動しなければ降りかかる運命は信じる」
- 「無知という殻の中に閉じ込められて生きている者たちの中で、私は最初にその無知の殻を破り、この宇宙でただ一人、最も崇高で普遍的な仏陀の悟りを得た」